2009/11/14

久し振りに更新です

忙しくてすっかり更新が届こうってますが元気にしていますよ。

年末に撮影があって沖縄に行く事になりそうです。
石垣にもよりたいんですが、これはちょっとスケジュール的に厳しいやもって感じ。

んー、仕事でも石垣に行きたいなー。

iPhone から更新

2009/09/23

哀しき熱帯 : 嵐 02

「隣座って良いですか」

「うん?」

「さっきもうちの店に来てくれましたよね?」

「ああ、そうですね」


Tristes tropiques



彼の第一印象は変な人、だった。気温は30度を超えた正に真夏日。

ジーンズに長袖のシャツ。それからカメラでも入っているのだろう、大きな荷物。

見ているだけでこっちが暑さに参ってくる。かといって汗をかいてるようでも無く、汗腺がダメにでもなってるんだろうかと疑った程だ。

北国の人なのか、もしかしたら外国の血が混じっているのかもしれない。
色白で少し彫りが深い顔になんだか不思議な雰囲気を漂わせていた。

開け放した窓のそばの席に彼が腰掛ける。

風がツンと海の香りを運んで来た。

「いらっしゃいませ」

お冷やをテーブルに置き、メニューを彼に差し出す。
彼が顔を上げ、私の目を見て言う。「ありがとう」そうそう人生経験が豊富というわけでも無いけれど、たかがウエイトレスにちゃんと目を見てありがとうと言う人は少ない。

へぇ、あんがいしっかりした人じゃ無いか。

彼がメニューに目を落とし、再び顔を上げると私にこう言った。

「エスプレッソ下さい」

 予想外の答えに自分の耳がおかしくなったように思う。
厨房を振り返るとおじぃが首をひねっているのが見えた。

「あの、エスプレッソはアイスとかが無くて、ホットなんですが」

「ええ。ホットので」

 不思議な物を見るような目で彼が私を見つめる。再び厨房を振り返るとおじぃがうなずくのが見えた。
 壁にかかった温度計を確認すると 32℃ 。

間違いない。

今日は真夏日で、Tシャツが汗で張り付いて気持ちが悪いのも夢じゃない。

「かしこまりました」

 彼に一礼し、きびすを返し厨房へ戻る。
 好奇心が沸々とわいてくるのを感じ、思わず顔がにやけた。

 そして数時間後、再びやって来た彼が遅い昼食に冷やし中華を食べた後、声をかけてみたわけだ。

photowalker icon


photowalker, originally uploaded by photowalker.

大学の時の後輩が作ってくれました。

ありがとー!

2009/09/09

哀しき熱帯 : 嵐 01

Tristes tropiques



「智子、頼む助けてくれ!」

「はぁ?」

久しぶりに聞く南国の声。彼の声が私を遥か南に連れ去る。

「何? 何があったんだい?」



-------



 青い海原を風を切って進む船。
 時折大きな波にゆられて下腹部がキュンとなる。

 大きな波の度に、客席で大きな声が起こる。

 体質のせいなのか、全く船酔いというものに無縁な僕は呑気に海原を眺めていた。
 しばらくすると島影が見えてくる。

 その島には全くと言って良いほど起伏が無い。もし草木が生えていなかったら、それが島だとわからなかっただろう。島は水の上の油みたいに薄く広がっていた。

 港の中に奇妙な形の大岩が見え始めると、船が減速し、回頭し始めた。ゆらゆらと揺れながら次第に桟橋に近づい行く。船員が、手際良く船の側面に緩衝をおろして行く。桟橋からロープが投げ込まれると、がこんと一つ大きく揺れ、船が桟橋に接岸した。クーラーのきいた船内から表に出る。船のエンジン音とむせ返るような油の匂いが鼻につく。船員に案内されるまま海をひょいと跨いで到着だ。

 桟橋から少し離れると、途端に目眩のようなものを感じ始めた。

 これも体質なのか僕は陸酔いが激しい。陸酔いを体験した事の無い人の為に説明するのは少し難しい。船から陸に上がったあと、まだ船に乗っているかのような揺れを激しく感じたりする。ひどい時は立っていられなくなる程だ。こう言えば通じるかもしれない。子供の頃海に遊びに行った時の事を思い出して欲しい。家に帰り風呂にも入って眠るその瞬間。蒲団の中でまるでまだ海の中で波にゆられているような感覚を覚えているだろうか?

 陸酔いはあれによく似ている。

 少し座って休みたい。そう思ってあたりを見回すと、どうやらカフェらしい、「コーヒー」「オリオン」「八重泉」とカフェなのか居酒屋なのか節操の無いのぼりが通り沿いに立ち並び、その奥に薄汚れたコンクリートの家屋を見つけた。丁度良い、少しコーヒーでも飲んで行こう。熱いのが良い。クーラーで冷えた体を温めよう。

2009/08/18

哀しき熱帯 : 昨日の夜に

Tristes tropiques0044

 昨日の夜、僕は逃げ出した。
 路上でキスをしたその後に。

 「話があるんだ、ちょっと来てくれない?」

 ワイパーに挟まれた手紙。
 その時の僕はなんの危機感も持たず、ただ彼女の申し出に素直に従った。



 南国に移り住む人々にはそれぞれに事情を持って移り住む。

 仕事で、逃げ出そうとして、夢をみて、何かを捨てようとして、救いを求めて、ただ好奇心に突き動かされて。人の数だけ理由があり、大抵の場合それは他人に語るに複雑ではあったものの、それをサカナに一晩飲み明かせる程度に楽しい話題だった。

 他の移住者がそうであった様に、僕が移住した理由もやはり適度に複雑だ。仕事でやってきた僕は、好奇心に突き動かされて移り住んでしまったけれど、現実から逃げ出しモラトリアムを享受しようとしたし、写真家という夢を見ていたし、僕を捨てた父親との関係に救いを求めてたようにも思う。

 会う人会う人にその理由を説明するうちに、その理由が一つでは無いことに気が付く。だが一年もしない内に言葉を重ねるのも億劫になり、やがて、南国に呼ばれたんだ、とだけ説明をする様になった。

 彼女とであったのは僕が島に移り住んで少し立ってからだ。
 少しだけ僕の方が先に島にやって来てた。
 僕自身がそうであった様に、彼女は彼女の物語の中にいた。

 気がつくべきだったと思う。
 僕は彼女に何も語る事なく、また、彼女の話を何も聴こうとしなかった。

 呼ばれると言う一言。
 それは実に便利で、甘美で、人を盲目にする危険な言葉だ。
 そのことに気がついたのはそれからずっと後の事だ。



路地裏を二人で歩いた夕暮れを思い出す。湿った空気に、大きな水たまりと
駐輪場、ラーメン屋の排気ダクトから流れてくる油の匂い。
でも、何故あのとき僕は彼女の話に耳を傾かなかったんだろう? 
罰なんだろうか? 夜が明け始める。見上げると
金星が輝いていた。
どうしてこうなったんだろう?

2009/07/19

海人醤油 : もやしを湯がいて作る、あれ。

DSCF0310

なんていうの、韓国料理でこうあるやん、もやしをゆがいて作るあれ。
あれを作ってみた。

材料はもやしと以下の調味料。

DSCF0305

で、もやしはまずさっと茹でて、水にさらして、熱が下がったらギュッと一回しぼっとく。
しぼったもやしに、ごま油と塩こしょう、海人醤油をてきとーーーに、混ぜ合わせて、

DSCF0306

ネギをさっと振りかけて、
DSCF0308

混ぜて、完成。

DSCF0309

おいしいよー。

さて、調味料で一番気になるのは「海人醤油」だと思います。
他のはその辺りのスーパーに行けば普通に手に入るしね。

この「海人醤油」だけれど、石垣島の58カンパニーさんが作ってます。

http://go-ya.asia/r/

今手元に無くて正確な所はわかんないんだけど、だし醤油とお酢にみりん、それから島唐辛子が絶妙にブレンドされているお醤油で、暑い夏にぴったりのお醤油になってます。

ただし、島唐辛子が入ってて入れ過ぎに注意。
島唐辛子はめちゃめちゃ辛いからそれだけは気をつけて。








2009/07/18

哀しき熱帯 : 黒い男

哀しき熱帯

 僕は彼を結局好きにはなれなかった。
 とにかく粗暴でずる賢く、それでいて繊細な心を持った厄介な奴としか僕は思っていなかった。

 黒く焼けた肌、歯が抜け歪んだ口元に、鋭い目、かつては白かったであろうノータックのパンツ、絵に描いたような七三分けの髪の太った中年。

 それが彼だった。

 彼はいつも鏡を見る。

 髪を櫛で綺麗に梳かし時間を忘れ鏡を見つめる彼。
 僕がカメラマンであるという事を知ると、会う度に僕に写真を撮れとせがんだ。初めのうちこそ気持ちよく撮っては来たが、度を過ぎた頻度で行われるため、そのうち僕も辟易としはじめ、そのナルシズムにぞっとした。

 彼の粗暴な人格や世間の評判を聞くうちに、僕自身も彼に会いたいとは思わなくなったし、そうそう会う事も無かったのだが、後にも先にも、写真家である僕に写真を撮る事を嫌がらせたのは彼だけかもしれない。
 


 彼に直接その理由を聞いた事は無い。

 一目見ればわかる程に、彼の身体には特徴的な欠損があった。

 共通の知人に尋ねたことがある。彼は自分の一部を自分で " 噛み " 切ったそうだ。
 それが本当の事かどうか僕は知らない。また、彼には臍がもう一つあるという話も聞いた。
 やはり自分で腹に刃物を突き刺したそうだ。

 一度だけその傷を見た事がある。
 シャツをだらしなく(彼的にはセクシーに)着こなした彼が、うん、と伸びをした際、確かに臍の上にもう一つへそのような傷跡がちらりと見えた。


 今年の春、彼は刃物で自分で斬りつけた。傷口は数十カ所に及んだという。
 このとき一命は取り留めたのだが、その後処方された薬を大量に飲み干し他界した。

 

 彼は傷だらけでいつも何かに怒っていたし、いつも何かを恐れていた。

 それも激しく。
 
 自分の身体を歯で噛み切り欠損させる程の激情など、僕には想像も及ばない。
 のどかな南国の島々の風景と、彼が出会った物語があまりにかけ離れすぎていて戸惑う。



 蝉の鳴き声も聞こえない、音が焼けそうな程の強烈な夏の日差しを思い出した。

2009/07/02

1年ぶりに電話。

 やってて良かった。公文式。

 ブライダルの撮影を僕はしている訳ですが、撮影をさせていただいたお客様に丁度1年後に
電話をかけるようにしています。

「結婚式から1年ちょうど一年になりますがいかがお過ごしですか?」

 みたいなかんじで。

 んで、驚く話。

『そういえば、あの時撮った写真がなんかパンフレットに使われているらしいですね?』

「ええ!? 何にも聞いてないですよ??」

『いやあ、友達がパンフレットを取り寄せたらしいんですけれど、僕たちの写真が載ってたそうです』

「ええ!?」

『はい。あの僕らが海の前で走ってるところの、あの写真です』

「ああ、あの写真ですか」

 てなやり取りがありました。

 パンフレットは確認はまだできていませんが、web を久しぶりにのぞいたところ、
そのほかにも数点僕が撮った写真を見つけました。
 トリミングされてますが、手元のファイルと重ねて見るとばっちり同一の場所から撮影した事がわかります。

 もちろん、僕に声はかかっていないので、他のお二人にも許可とかとってないんだろうなーと、勝手に想像してしまいます。

 今回、お二人の寛容さに救われてると思うんですが、普通に二人の肖像権と僕の著作権の侵害っす。

 さて、当ブログをごらんの BxxxFxx さん。
 
 悪気があったとは思ってないけれど、もうちょっと気をつけて欲しいです。

 あとでメール送っておこう。

2009/06/23

人形と結婚式。

_DSC4599

去年六月、石垣島で最後に撮った披露宴の写真が彼ら二人の式でした。

そしてその一年後、やっぱりお人形さん撮ってました。

_DSC5277

 先日の結婚式でウエルカムボードの前にいた二人のテディベア。

 ご新婦ご友人の手作りだそうです。

 御内儀からのリクエストでウエルカムボードを是非撮ってほしいという事でしたので、ぱちりと一枚撮った後、ちょうど一年前に撮影した写真の事(一枚目の写真)を思い出しました。

 二人がお色直しのために会場を出ている間に、二人のテディベアを持って披露宴会場内をあっちへウロウロこっちへウロウロ。新郎新婦へのちょっとしたサプライズのつもりで、こんな写真を撮ってみました。

 喜んでもらえるかなぁ。



 ところで、結婚式と人形ってまったく違和感無く受け入れられます。

 人形の歴史って先史時代からあるようですが、結婚式と人形っていつの時代に結びついたんだろう? なんで違和感が無いんだろう?

 そういえば、雛人形って嫁入り道具11点セットみたいなのがあったような気がするな。

 あの辺りから来てるのかな?

 ちょっと気になったので調べてみよう。

2009/06/11

BEE! BANG! BOO!

BEE! BANG! BOO!

仲の良い編集さんに連れられてライブに行ってきました。
おおよそ2年ぶりに再会。

石垣島で仲良くなったと思ってたんだけど、実は僕の記憶違いで3年前か、僕が石垣島から
東京に営業に行った際に初めて出会ったんだった。

うん? 営業??

で、はたと気がついた訳ですよ。
付き合い長いのに一回も仕事した事無いという事実が目の前に横たわっています。
そんなわけで週明けあたり神保町に繰り出しちゃうぞ。


それはさておき、ライブの話。

めちゃめちゃ盛り上がりました。

Youtube で参考になる動画を探していたら本人たちがアップしてる動画あったので貼付けておく。



ボーカルとギターの二人は石垣島の出身。
しかも、ボーカルの大ちゃんのお父さんのつよしさんとは石垣島で呑み友達でした。

ライブの後の打ち上げでは一ヶ月ぶりに聞く八重山方言がなんだか嬉し。


そのほかの写真はこちらへ!
http://www.flickr.com/photos/cumon/sets/72157619514335981/

BEE!BANG!BOO! オフィシャルサイトはこちらへ!
http://www.beebangboo.com/

2009/06/06

秘祭

Esoteric

どこで、いつ、どうやって撮ったか、約束もあり多くは語らない。

ただ南の島々には今でも、厳かな伝統をひたむきに守り、誇りを持って生きている人々がいる。

戸口に立つ、来訪神。

笠と、藁を纏う二神はこつこつと、神棒で大地をたたく。


「吽ーーーーーーーんっ」
「吽ーーーーーーーんっ」

二神の神言を合図に、聞こえるか、聞こえないか、小さな音で、密かな呪文を唱え始める。


真世からの来訪神、神々の行脚と祝詞がちいさな集落の夜に消えて行く。

2009/06/04

Develop, develop, develop.

前回のイメージは下。

Test develop.

イメージについていくつもの突っ込みがあるんだけれど、それは次回に生かすとして、今できる事と言えば、現像をしっかりやるってこと。

それで、現像パラメーターをいくつか弄ってみて、以下のイメージまで変更になった。

Test Develop.

この後、もうちょっと現像パラメーターを弄って、その後レタッチ。

2009/06/01

JINN YAGI

_DSC2298

およそ6年ぶりに再会。
友達 JINN YAGI のライブを撮影に行きました。

僕の芸術家としての先生は環境芸術家八木マリヨさんなんですが、マリヨさんにまさかの再会で、
久しぶりに緊張しました。おなかの下がきゅんきゅんしたぜ。
(誤解の無いように言っておくけど、優しくて、すげえきれいな人で全然怖い人でも無いからね。
個人的にすごいお世話になって、畏敬の念が強くて緊張するっていう話です。)


でもカメラマンでなんとか食べて行けている事、などなど近況も報告できて、マリヨさんの
元気な姿も見えてうれしい再会がたくさんありました。

次のライブ撮影は来週土曜日ー。ライブ撮影の写真等、追ってこちらに掲載できればと思います。

2009/05/27

Beauty

DSC_2149

昨日は新丸子で撮影。
んー、んー、と悩みながら撮影。

美容界のカリスマ写真家は無理ですが、精進して仕事の幅を広げたいところです。

その後、メイクさんと現代舞踏家 樋口裕一さんの家に遊びに行きました。

翌日から焼きそばを食べたくて仕方なく、裕一君ちで焼きそばを肴にしこたま飲む飲む飲む。

終電に間に合うようにかえったはずなんですが、気がつくとそこは東京23区外にでした。

しょうがないので、駅近くのバーで三時頃まで飲んで、近くのまんが喫茶に。

で、今日は一日二日酔い。

この時間にやっと復活したところです。

お酒は程々にと誓った今日一日でした。

2009/05/15

石垣島58カンパニーズレストラン

58

5月11日16時頃、場所は練馬駅付近。

携帯電話に突然の着信。相手は石垣島でお世話になったタコライスカフェ Beach の矢野さん

『くもんー、お前毎日どっか働きに出てる?』

「え!? はぁ、だいたい毎日どこかに働きに出てますけど、どうしたんですか?」

『ぶっちがよー、沖縄の物産展でそっちに行くがやけど暇やったらてつどうちゃって』

「あ、GWが終わって暇になったんで手伝いに行きます」

『ぶっちに携帯の電話番号教えるき、直接話しちゃって』

「はい、わかりました」


・・・『もしもし、公文君?』

「あ、ぶっちさん、お久しぶりです。こっちで物産展に出店するとか聞きました」

『うんうん。で、13日からなんだけど』

「え!? めちゃめちゃ急ですね」

『うん。13日から19日までなんだけど、大丈夫?来れそう?』

「16日は撮影で手伝えませんが、それ以外だったら」

『じゃー、よろしく。明後日9時か10時くらい池袋SEIBU本店の7階奥の方に来て』

「はーい」



 と、いうやり取りを経て、19日まで西武池袋本店7階の大催事場の一番奥、「石垣島58カンパニーズレストラン」が大好評開店中です。

 公文は厨房でソバ作ってますが、時々食堂に顔を出します。

 みんなも本場の八重山ソバをぜひ食べに来て!

 写真は厨房での一コマ。

 三線をつま弾くゴーヤカンパニー、チョーチューさん。



 ちなみに、僕のお勧めはゴーヤソバ。

 今回初めて食べたんだけど、ゴーヤを麺に練り込んで作ってるそうな。
 特に苦い訳でもなく、食感も普通のソバとあまり変わらないくらい。それよりも、ゴーヤとバジルとニンニクのペーストが具の上に乗ってるんだけど、これがかなり美味しい。
 このペーストをだし汁に溶かして食べると、お口の中は南国パラダイス銀河。



ゴーヤカンパニー
http://go-ya.asia/

ゴーヤカンパニーBLOG 「テーゲー島時間ノススメ」
http://blog.livedoor.jp/goya5814/

2009/05/12

表彰状


拝啓母上様

僕がまだ21才の時、あなたはまさかの出来ちゃった再婚をしました。成人してから弟が出来るだなんて夢にも思っていませんでしたが、あれから10年、お尻がプリプリだった一番下の弟は相変わらずお尻プリプリで、やはりあの頃お尻プリプリだった公文家次男のお尻はケツ毛だらけの牡尻になり果て、放蕩息子の長男は石垣島で5年間も遊びほうけてようやく去年日本本土に帰ってまいりました。

去年12月、脳梗塞に倒れながらも僕を気遣い、何も言わず東京での僕の活動を見守ってくれたあなたの心情を想像すると、その愛情の深さただただ感謝するばかり、同時に、あなたの息子としてこの世に生まれてきたことを誇りに思います。

若干母の日にはおくれましたが、そこは御愛敬。

日頃の感謝を込めて、ノートパソコン一式を送らせていただきます。

日頃の感謝を込めて。

Posted by ShoZu

忘れ方を教えてください。

sakura

GW の埼玉での撮影をピークに忙しさも落ち着きました。
今月一回目のBLOG更新。

気がつくともう5月も半ば。

東京もなんだか蒸し暑くなってきました。

先日、iPhone を盗難に遭いましたが日本の警察も捨てたものじゃなく、どうやら犯人逮捕まで
たどり着けそうです。

早いもので、去年8月下旬に石垣島をでておよそ9ヶ月、もうじき一年が経とうとしてます。

4月、久しぶりにおおよそ5年ぶりに桜をみました。
石垣に咲くカンヒザクラは日本本土と違っていて、あれはあれでかわいらしい花なんだけれど、本土生まれの僕にとってはやはりソメイヨシノがしっくり来る感じ。

若い頃(っていってもまだ若造である事には変わりないけれど)花見って言えばただただ飲むための口実でしか無かったけれど、今年の春みたいに、自分が桜の花に積極的にレンズを向ける日が来るなんて思っても見なかった。

桜の花がはらはらと散って行く、当たり前の風景がこんなに美しいとは思わなかった。

2009/04/14

Spring has came.

sakura

美しく咲いた花も散りました。
僕には散った花弁が美しく見える。

2009/04/08

Helen


_DSC7626, originally uploaded by photowalker.

Photo : Taishi Kumon (Photowalker)
Hair & Make : Minori Matsumura
Model : Helen

2009/03/26

NIKON 35mm F1.8


_DSC5908, originally uploaded by photowalker.

ニコンから発売された、新レンズ DXフォーマットの単焦点レンズ 35mm F1.8 で撮影してみた。
なかなかいい感じ。さすが単焦点、新レンズ。

逆光にもそこそこ強くて、ぼけ味もいい具合。

写真は開放で撮影。
ボディはD300 でISO100でとったよ。

調子に乗って、FUJIFILME のs2pro につけてみたら、これがなかなかいい感じで早速仕事で使ってみた。

評判も上々。

7年くらい前?のフラッグシップで今じゃ、中古で2〜3万円で買えるけれど、絵作りだけみたらD300 より手間がかからなくて素晴らしい。

やー、そんな古いカメラで時々仕事しててすいません。

でもね、仕事に会わせてこういう機材のセレクトができ無きゃ行けないのはプロとして前提ですから。

と、言い訳してみたりする。

2009/02/20

約束の雪


約束の雪, originally uploaded by photowalker.

北海道に行ってきました。

寒かった。

2009/01/17

mac book pro の電池が死んだ件

なんていうんですか、死んでました。

変形してます、完全に。

トラックパットの反応がおかしいなとは思ってたんだ。

まさかこんな事になるなんて!

2009/01/13

日比谷年越派遣村にいってきました。 その6


_DSC9216, originally uploaded by photowalker.

これから国会議事堂までデモ行進を行います!
派遣村の人は前の方に来て下さい!

とアナウンスがあった。
僕は報道陣と一緒に最前列を撮影する。

派遣の人が前の方に来ているらしいが、すぐそこには各支援団体?ののぼりばかりが目立つ。


いよいよデモ行進が出発する。


はっきりって粗暴だ。

「国はなんとかしろ!」「企業を指導しろ!」と声を張り上げる。

中には交通整理にあたる警官にからむ人もいた。

「よこせ」とだけ書かれたプラカード、「女の派遣だっているんだ!」と書かれたプラカード、手書きのプラカードを掲げて練り歩くのは既に就職活動も終わった学生ボランティア。


国会に到着すると、参議院・衆議院の前で議員の先生たちが応援のためかずらりと並んでいた。

衆議院の前に来た時の事だ。


_DSC9412

与党公明党の姿が見える。

僕は創価学会には関わりたくないと思う。
事実、中学時代の友人が数年ぶりに訪ねてきたかと思ったら学会の勧誘だったし、大学であまり面識の無い同級生が急に親しくしてきたと思ったら学会の勧誘だった。

でも、与党でありながら派遣切りに喘ぐ若者たちのために顔を出したのは評価できると思う。

これは絶対にテレビでは流していないし、流さないだろう。
デモ隊から「公明党は恥を知れ!!!!」と、二度三度怒声が聞こえた。

これが、派遣切りに喘ぐ若者たちの為にしている事か?

ただの政治運動じゃないか。


つづく

2009/01/12

日比谷年越派遣村にいってきました。 その5


_DSC9205, originally uploaded by photowalker.

前提として一つ話をしておきたい。

僕は平和運動という運動を信用していない。

出会った人々が悪かったかもしれないが、「平和のために戦っていこう!!」という彼らのメッセージに矛盾を感じずにはいられないし、一昨年あたり石垣島で活動していた無防備都市宣言運動についても同様に信じていない。

 東京山谷日雇労働者組合が厚生労働省へ嘆願書を提出にいっている間、公園へ戻るとどこからともなく人が集まってきていた。

 各々が各々の仲間と集まり、談笑する。

 ボランティアスタッフたち一カ所に集まり、ただいまを持ってボランティア活動を終了しますとリーダー格の女性により宣言がなされ、後片付けに奔走していた。

 _DSC9180

 その間に全体会議が終了したのか、派遣切りに見舞われた当事者と思われる一団が、厚生労働省から出てくるとその足で地下鉄の駅へと向かっていった。

 ?

 ??

 ???

 今日の予定を確認すると、この後国会議事堂までデモ行進とある。

 彼らはどこへ向かったんだ????


 会場には続々と人が集まってくる。団体ごとにのぼりを持ち、のぼには安保破棄、9条改正反対などと、それぞれの団体が主張するメッセージや、各団体の名前が記されている。

 日高組、労連、ユニオン、などなど、各団体の名称が入ったのぼりが公園内を跋扈する。

 一部のボランティアたちは「デモ行進用のプラカードをつくりますー! どうぞ皆さん書いてくださいー!」と会場内で注目を集めていた。

 一方、ギターを弾く中年の男性が麻生総理を中傷する歌を歌っている。困っている人を救おうとする活動が何故総理への誹謗中傷につながるのか意味が分からない。

 気になって歌のタイトルを検索してみたら、作者本人のBLOG に行き当たった。一部引用するとこう書いてある。

" アホ太郎に対する怨念に満ちた歌が唄えたと思います。この歌が日本中に拡がることを願っています。"

 一個人への怨念を広げようという活動に僕は薄ら寒さを覚える。

 つづく。

2009/01/10

日比谷年越派遣村にいってきました。 その4


_DSC9165, originally uploaded by photowalker.

肝心の派遣切りをされたであろう若者の姿は見られないのが気になり、辺りを見回す。

派遣村の予定表を見てみると、丁度入れ違いで会議に行ってしまったらしい。よくよく見てみると、村民登録をした人のみ参加可能と書いてある。

なぜ?

理由はよくわからないが、会場の人数制限もあるのだとは思うが。

しばらくすると厚生労働省舎の前が騒がしくなる。

厚生労働省に嘆願書を提出に行くらしい、首切りやめろと背中に書いた、20数名の団体の姿があった。


これから厚生労働省に嘆願にいくらしい。

派遣村のなかで「〜時〜分から厚生労働省に嘆願にいきます」というアナウンスは確かに聞いたが、実際に嘆願にいった彼らは何者なのだろう?

背中には東京山谷日雇労働者組合とある。
彼らが配布していた資料をみると、山谷越年・越冬闘争実行委員会とある。派遣村のはの時も出ていない。

手元の資料についてみると、定額給付金について、雇用対策について、アルミ缶回収などではたらく労働者への補助の実施についての申し入れをすると書いてあるだけだ。

がんばれーと、互いに声をかけながら彼らは厚生労働省へと入っていく。

彼らを見送ると、公園に戻る。

いつの間にか人が増えていた。


会場がどんどんうさんくさくなっていく。


つづく

2009/01/08

日比谷年越派遣村にいってきました。 その3


_DSC9138, originally uploaded by photowalker.

日比谷公園に着いたのは9時頃、前日からmac の調子が悪く、ほとんど徹夜でos の再インストールやら何やらをしていたら、すっかり遅くなってしまった。

到着して村内を歩いて見た。

人は多いものの中には年季のはいったベテランホームレスの方々の姿や、学生であろうボランティアスタッフの人たち、そして各社マスメディアのひち達の姿が見える。

肝心の派遣切りをされた若者たちの姿はよくわからない。

中でも目立ったのは炊き出しをする中年女性たちの姿だ。

皆、花をモチーフにしたロゴの入った帽子を被っている。

「どうぞ、如何ですか?」

と少しなまりのある日本語で僕にまで炊き出しの御味噌汁を進めてくれた。

そういえばお腹が空いていたので、遠慮なく御味噌汁を頂く。

身長190cm を超えるライカM6を肩から下げた金髪の外国人と、大学の時の恩師を思い起こさせる立派だけどところどころにご飯粒をつけた髭の持ち主、しっかり年季のはいったベテランホームレスのおじさんの間に陣取り、味噌汁をすすった。

さつま芋に、ごぼうに、人参。

冷えた体には最高だ。

おいしい。

礼を言い、茶碗と箸を返す時に色々と尋ねてみた。

あとで2ちゃんねるを見ると、「謎の中華系宗教団体の姿が!」みたいな書き方をされていたがどーってことない。
確かに、宗教団体のボランティア活動ではあったが、台湾カレンを本山にする仏教系の新興宗教だそうだ。
彼の名誉の為に言っておくが彼らは、この後に起こるデモ行進や嘆願活動などに積極的に関わっていたようには見えなかった。単純に善意からの炊き出しなのと思う。


つづく

2009/01/07

年越派遣村にいってきました。その2


_DSC9391, originally uploaded by photowalker.

 僕からみた1月5日の派遣村は政治運動でした。
 マスメディアは自分たちも信じていない物語を作り垂れ流します。
 僕なりの感想ですが、この一連の騒動をデザインした人間がいます。それもまず間違いなく、メディアの扱いに馴れてます。



 年越派遣村について知ったのは年始に入ってから。

 テレビを持たない僕はもっぱらネットでニュースを見る。

 まったくのイメージでしか知らなくて Youtube の湯浅誠さんの動画をみて興味を持ったし、同時に、違和感を感じた。怒りの矛先を間違っていないか?

 一個前のカナダでの話を自分ながらに思い出したし、自分自身が石垣島から出てきて数ヶ月、さてどうご飯を食べていこうと考えあぐねてるところだったし、東京との関わり方を模索していた事もあって、いってみる事にしました。

 僕と同世代、あるいはもっと若い子が仕事にあぶれ路頭に迷ってる。そんな現実がそこ間できてるのかと思うと、正直切なくなる。

 もう少しよく知ろうと、2ちゃんねるで検索してみると、出くる事出てくる事、だいたいの意見は厳しいものばかりだった。

 自己責任論が大半。僕からみて結構異常なまでのたたきっぷりだった。
 
 そこまでたたかれなきゃいけない理由って何だろうと、僕にはわからなかった。

 誰だって失敗はするし、できる事なら許されたいと願うのは(許されるされないは別として)、そこまで避難されなきゃいけない事なんだろうか?
 
 それを確かめたいと思った。

つづく

2009/01/06

年越派遣村にいってきました。その1

カナダに行ったときの話をはじめに少し。

2001年9月11日からさかのぼる事1ヶ月。
僕はカナダのバンクーバーにいた。

そこで強烈な出会いをした。

街で初めて彼女を見かけたとき、その美しさに目を奪われたし、その美貌と粗暴な行動のギャップに萌えた。恋に落ちた。

足が悪い彼女は松葉杖をつきながら、「Fxxk! Sxxt!」と何者かをののしりながらゴミ箱に手を突っ込みゴミをあさっていた。

彼女はホームレスだ。

ずいぶん汚れていたし、臭かったが、金髪に碧眼、端正な顔立ち、彼女は美しかった。

興味があったので声をかけてみた。

家出をしてきた彼女はしばらくバンクーバーで働いていたが、足が何かの病気にかかり、病院に通院しながら仕事をしていたが、仕事にも出られなくなり、収入もなくなり、病院にも行けなくなり結局ホームレスになってしまったという事だ。

2001年当初のカナダの失業率ははっきり覚えていないけれど、8〜9%程度だったと思う。ただ、日本と違って驚いた事に若いホームレスをよく見かけた。20歳前後の若者が路上に腰を下ろし、マクドナルドの紙コップを拝むように道行く人々に掲げる姿を何度となく見かけた。

そんなカナダの状態をみて、僕にできる事は日本人の旅行者として幾ばくかのお金を落としていく事だけなのだろうか?といろいろと考えるところがあった。

今回、年越派遣村に興味を持ったのはそんな下地があるだからだがそれだけじゃない。

僕が石垣島から上京してきてから4ヶ月。東京で生活をするのだから、この街で、日本で、いったい何がおこっているのか知りたいと思ったからだし、何より僕は自分の事を写真家と思っているし、事実看板をあげさせていただいている。上京してきたばかりで食べるのもやっとだけどね。

写真の世界は事実厳しい。食べるのがやっとっていう人がやはり多いし、地方でやってきたが仕事がなく、東京にやってきたっていうカメラマン何人かに出会った。

廃刊していく雑誌は多いし、テレビ局も制作費を軒並みカットしていってる。

厳しいとみんなから聞く。

つい最近まで忘れていた事だけれど、僕は語るなら希望を語っていきたい。
少し前の日記で書いた( photowalker: 優しい嘘 )彼女のような事をしたいんじゃない。

不況、不況と、周りが言うと僕自身も簡単に同調してしまう。

それでも、厳しくて辛い中にいても、希望だけは忘れたくないし、僕らは希望を忘れられないと信じてる。


さて、前置きはこの辺で。

年越派遣村に行ってきましたが・・・・・・・・






まっかっかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww!!!!

露骨なまでに政治運動に利用されてますwwwwwwwwwwwwwwww。

ワロスwwwwwwwwwwwwwwwwwww!!!



つづく。

2009/01/02

不況とか。

今日は珍しく日記を二本。

日比谷公園では年越派遣村なるものが出来ているそうです。

企業の派遣切りが各地で話題になっています。

視点・論点 派遣切り (湯浅誠)


 彼の言っている事はわかります。
 言ってる事はわかるのですが、これは僕が経済に弱いからかもしれません、いまいちこう気持ちの悪さを感じるのは確かなんです。なんというか怒りの矛先がずれている様な。

 2ちゃんねるでは、年越派遣村に対し厳しい意見が続々と届いているようです。
参考痛いニュース
http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1205490.html

 ざっと読みましたが、言っている事はわかります。厳し過ぎる意見とも思えるものもいくつかありますが、上に書いた湯浅誠さんが言っている事より、第一印象として僕の意見はこちらに近い感じます。

 正直なところ、僕からするとチーム -6% とか eco なんとかとか、胡散臭い。
 
 製造業に携わる派遣の人からしたら申し訳ない意見なのはわかってるけれど、僕からしたら「地球が大事なら車作るの作るの止めればいいだろ」って話です。

 話がずれましたが、2ちゃんねるでは第一印象どまりでそれ以上の事を知る事が出来ません。



 
 経済に全く弱い僕ですが、最近本屋でタイトルに恐慌とつく本を良く見かけます。
 大恐慌・世界恐慌再び、みたいな。

 眉唾だわ。

 僕はアメリカで起こっている事を単純に思っていて、住宅バブルが崩壊して(サブプライムローン)、よくわかんない金融商品が売れなくなった(リーマン)。日本で起こってるのはアメリカで起こった出来事をきっかけに、円高が進んで、輸出バブルの崩壊し、TOYOTA や CANON みたいな日本で作って輸出に利益を頼ってた会社が軒並みダメージを受けた。

 1930年に起こった事と状況も違うと思っていて、同じ様な世界恐慌が起こるのかっていうと僕には難しすぎてよくわからないし、ただ不安を煽って底につけ込む商売ってのはいつでもあるから、そういうたぐいのものじゃないの、くらいにしか思ってません。

 
 僕自身、ここ最近まで経済や商売について興味がなくて知らない事が沢山あります。

 これをきっかけに、自分でわかる範囲で今起こっている出来事を知ってみようと思います。

明けましておめでとうございます。


_DSC9035, originally uploaded by photowalker.

皆様あけましておめでとうございます。
今年は練馬の大鳥神社と白山神社にお参りに行きました。

白山神社でのお参りにはちょっと感動。
あー、日本本土に帰って来たんだなと実感しました。

祭囃子に寿神と獅子舞が現れる様子。

石垣島でのお祭りとどうして比べてしまいますが、どこか厳かで静かなお正月。なんかしんみりとしてしまいます。


草も木も同じ恵みの時を得て
野山の春は風ものどけし

今年のおみくじび運勢は大吉。
昔は大吉しか引いた事が無くて大吉以外に入っていないと思ってたんですが、ここ数年は小吉とか凶を引いていた様な気がします。なんだか久しぶりの大吉。

願望 人に頼る必要なく成就する
交際 孤独で良い。きつと良友現はる
縁談 あせらず時を待つがよい
産児 早く産まれる。産まれたこの健康に注意
事業 準備を完全にしなさい
試験 先輩の助言を信じて努力すれば可
病気 注意を怠るな。油断して思はね失敗
転居 あわててはいけない

懐疑は知識の元だ。然し真の幸福は神を信ずる安定心より産まれる。人間の力に際限のある事は知識に限界のある事からわかる。新興は感謝の念を高め、真の幸福を知る。

ということでした。

 

さて、以下はメモ。
日本人でありながらお参りの作法も僕は知りませんでした。
これってちょっと恥ずかしい。

で、同じ過ちを繰り返さないように検索してメモしておこうと思います。

### 以下引用

1.まずは一礼から
境内に入る前に神社の場合は鳥居に、お寺の場合は山門に軽く1礼するのがマナー。
これは鳥居・山門は聖域と外界の分かつ境目であり、聖域へ入る際の神や仏に対しての挨拶を意味する。

2.手水舎で手を清める
手水舎(てみずや)で参拝の前に身を清めましょう。
(*水を汲むのは1回のみです)
① 右手で柄杓を持って左手を洗い、
② 左手で柄杓を持誓えて右手を洗い、
③ 右手に柄杓を持ち替えて左の手のひらに水を受け、それを口に含んですすぐ
④ 柄杓を立てに持って柄の部分に水を流す
⑤ 柄杓を元の場所にふせて置きます。

③ の口に含み・・が正式ですが生水に抵抗ある方は
くちびるを濡らす程度でもいいですyo^^

3.ローソクやお線香を奉納する場所がある場合。
・お線香は神仏の食べ物とされておりなるべく立ててあげる
・他人のロウソクから火を点けない。その人の「業」を貰うとされています。


4.いよいよ参拝。
手水で心身ともに清めたら、神前に向かいますが、参道の中央は避けて通ります。正中(せいちゅう)と言って、神の通り道とされておりそこを避けて歩くことが礼儀です。あとこの部分は神社とお寺では作法が違いますので注意です。

神社の場合は「2礼2拍手1礼」(出雲大社等の例外もあります)
① 軽く会釈をします。 賽銭を投じ、鈴を鳴らします。
② 頭を深く二回下げます(2礼)。
③ 手を合わせます。右の掌を左に対して少し引き、柏手(かしわで)を二回打ちます(2拍)。
・ここで祈願等を行います。
④ 頭を深く下げます(1礼)。


お寺の場合は「1礼」
① 軽く会釈をします。 賽銭を投じ、鈴を鳴らします。
② 胸の前で合掌して祈願→軽く1礼
神社のように拍手を打つのは失礼にあたるので注意しましょう。

### 引用ここまで
### 引用先 URL http://goukin.exblog.jp/6626429/