2009/01/06

年越派遣村にいってきました。その1

カナダに行ったときの話をはじめに少し。

2001年9月11日からさかのぼる事1ヶ月。
僕はカナダのバンクーバーにいた。

そこで強烈な出会いをした。

街で初めて彼女を見かけたとき、その美しさに目を奪われたし、その美貌と粗暴な行動のギャップに萌えた。恋に落ちた。

足が悪い彼女は松葉杖をつきながら、「Fxxk! Sxxt!」と何者かをののしりながらゴミ箱に手を突っ込みゴミをあさっていた。

彼女はホームレスだ。

ずいぶん汚れていたし、臭かったが、金髪に碧眼、端正な顔立ち、彼女は美しかった。

興味があったので声をかけてみた。

家出をしてきた彼女はしばらくバンクーバーで働いていたが、足が何かの病気にかかり、病院に通院しながら仕事をしていたが、仕事にも出られなくなり、収入もなくなり、病院にも行けなくなり結局ホームレスになってしまったという事だ。

2001年当初のカナダの失業率ははっきり覚えていないけれど、8〜9%程度だったと思う。ただ、日本と違って驚いた事に若いホームレスをよく見かけた。20歳前後の若者が路上に腰を下ろし、マクドナルドの紙コップを拝むように道行く人々に掲げる姿を何度となく見かけた。

そんなカナダの状態をみて、僕にできる事は日本人の旅行者として幾ばくかのお金を落としていく事だけなのだろうか?といろいろと考えるところがあった。

今回、年越派遣村に興味を持ったのはそんな下地があるだからだがそれだけじゃない。

僕が石垣島から上京してきてから4ヶ月。東京で生活をするのだから、この街で、日本で、いったい何がおこっているのか知りたいと思ったからだし、何より僕は自分の事を写真家と思っているし、事実看板をあげさせていただいている。上京してきたばかりで食べるのもやっとだけどね。

写真の世界は事実厳しい。食べるのがやっとっていう人がやはり多いし、地方でやってきたが仕事がなく、東京にやってきたっていうカメラマン何人かに出会った。

廃刊していく雑誌は多いし、テレビ局も制作費を軒並みカットしていってる。

厳しいとみんなから聞く。

つい最近まで忘れていた事だけれど、僕は語るなら希望を語っていきたい。
少し前の日記で書いた( photowalker: 優しい嘘 )彼女のような事をしたいんじゃない。

不況、不況と、周りが言うと僕自身も簡単に同調してしまう。

それでも、厳しくて辛い中にいても、希望だけは忘れたくないし、僕らは希望を忘れられないと信じてる。


さて、前置きはこの辺で。

年越派遣村に行ってきましたが・・・・・・・・






まっかっかwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww!!!!

露骨なまでに政治運動に利用されてますwwwwwwwwwwwwwwww。

ワロスwwwwwwwwwwwwwwwwwww!!!



つづく。

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