写真は潜在的な遺影であるという宿命から逃れられない。
我々は写真に映る全てを失ってしまう。
それはつまり、父親を失ってしまう宿命にあるということだし、母親を、祖母を、祖父を、弟を、母を、妹を、家族を失ってしまうということだ。
写真は、写真家にとって体験そのものであり、まなざしの痕跡に他ならない。
実態は複製しない、写真はただ眼差しの痕跡だけを残す。
このことを僕は知っているのに、今日、父の脳梗塞の話を聞いて動揺してしまった。
幸い大事には至らなかったけれど、それでもやはり、僕は今動揺している。
写真がまなざしの痕跡であって、その実態は移ろっていく。
そのことを知っていたのにもかかわらず、だ。
2010/08/30
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