2008/02/21

バベル : 航空写真家 野口克也の世界


空の神話, originally uploaded by photowalker.

彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」
創世記 / 11章 4節

 亡くなった祖母は熱心なクリスチャンで彼女の墓石には「神は愛なり」と刻まれている。いつの頃だったからか祖母は僕に「何かったら祈りなさい。神様に祈りなさい」と言っていた。「包丁で刺されそうになった時にそれでも神様にお祈りするのか?」と訪ねた時は、「お祈りしなさい。神様が必ず救ってくださるから」と答え、幼くまだ素直だった僕は困った時にそうした物だが、相変わらず小学校ではいじめ通された。

 神は死んだとニーチェは叫んだが、僕がそれを知る以前に僕は祖母の言葉を信じなくなった。

 フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェが1882年の『悦ばしき智慧』の中で「神は死んだ、我々が殺したのだ」と叫んだ事と呼応するかのように近代と呼ばれる時代は黄昏を迎え、現代という時代が明け始める。

 悦ばしき智慧の発表から21年後、1903年12月17日。
 アメリカで双子の自転車屋がレオナルド・ダ・ビンチが1490年頃に描いたスケッチを現実の物とする。飛行機の誕生だ。そしてわずか4年後にはヘリコプターが誕生する。

 それまで神と鳥だけの視座を我々は手に入れた。

(もちろん飛行機が誕生する前から気球は存在したが、機動力・輸送力を考えると飛行機やヘリコプターと気球ではそれこそ鳥と風船ぐらいの差がある。気球についてはここでは論じない。)
 
 そして、ヘリコプターが生まれ100年がたった2007年。航空写真家 野口克也が描く世界は形而上学的な問いを我々に投げかけてくる。

 圧倒的な映像、都市に巣くう蟻のような、どこかコミカルで、どこかグロテスクな人々のメタフィジカな姿。ひしめき合う建築群、その間を縫って未だに建築が続けられる難解なコンセプチュアルアート・高速道路。積層する文化と人々の生活をかつての神の視座から野口は見つめる。

 人と人は分かり合えないし、寂しさからは逃れられない。絶望を前にしても、人は生き続け寄り添わずにはいられない。この現実を野口の写真は空から笑い飛ばし、慈しむ。

 彼の写真から我々が見ているのは現在の東京であると同時に、かつて神が見たバベルの姿なのだ。


野口さんの写真はこちら・またはこちら

2008/02/09

空の神話


空の神話, originally uploaded by photowalker.

まさか、空撮がこれほど凄まじい映像体験とは思っても見なかった。

 航空写真家 野口克也さんのご好意があり、アシスタントとして空撮に同行させて頂いた。
 野口さんとはMIXIで知り合い、仕事で石垣島に野口さんが来島される事になり、石垣島で出会った。

 僕がまだ若く経験も少ないカメラマンだからかもしれないが、職業として写真家を選んだのだけど、そこにはまず、写真家になるという選択がある。表現者として何を自分が語りたいのか、なにを語って行こうとしているのかという点で僕は思い悩む。


 その点、野口さんの写真は言葉なくても雄弁に語る。 

 圧倒的な都市映像。どこかグロテスクで、時折滑稽な人々の姿。

 そこに現れるのは大地への讃歌であり、人間の神話だ。


 野口さんが撮影した写真は、BLOGの左側Favoriteからどうぞ。
 また、空撮を考えている出版社の方々はこちら http://helitech.co.jp/ ですよ。


 今回お世話になりました、株式会社ヘリテック・エアロサービス代表取締役 小川様、写真家 野口克也様、お二人にあらためてお礼を申し上げたいと思います。貴重な体験をありがとうございました。

2008/02/05

センチメンタルな梅田

阪急梅田駅の近くを通ったとき、はっと思い出した。
この水平エスカレーター前、僕はここで彼女に振られたんだった。

もう8年も前の話だったと思う。
当時の事を思い出し、ニタニタしながら梅田を離れた。

僕らもとうの昔に過去になり、思い出す事もなくなってた。

2008/02/03

メランコリーな対象


メランコリーな対象, originally uploaded by photowalker.

 驚く事なかれ、僕のおばあちゃんは、僕が生まれた時からおばあちゃんだったんだ。

 彼女と二人、僕の実家に帰った時、彼女は僕の昔の写真が見たいと言い、祖母と母が出してきたアルバムは、祖母が小さい頃、祖父が若い頃の姿が納められた古いアルバムを出してきた。「ちょっと、これは、昔過ぎるんじゃないか?」と、言いながらも僕らは僕の祖父母が若い頃、そして祖父母の父親、僕の先祖たちの写真を見ていた。

 次第に今に近づき、母の若い頃、父の若い頃の写真が現れる。

 さっと、目の前に前の父親と、若い頃の母親の姿が現れたとき、僕はどうして良いのか、わからなくなった。

 写真は何も語らない、ただ若い父と母の姿を僕に見せつける。

 なにか、別の人を見ているかのような、違和感。


 梅田に来て、二つの結婚式を撮った。
 一つは、9年前の、もう一つは今日の。

 9年前の結婚式の撮影は、友人として頼まれ、そして、僕が初めていくらかの謝礼を頂いた初めての結婚式の撮影だった。
 偶然、9年前の撮影も大阪だった。そしてやはり寒い一日だったと思う。
 昨年二人の離婚を聞いた。友人として、二人の離婚に何も言う事はない。僕は二人を好きだし、二人が選んだ答えなら、僕は特に何も言う事はない。
 ただ、二人の結婚が過去の物になったんだと、感慨深く思っただけだ。


 当時まだ結婚していた僕の父と母の写真、二人は柔和に、幸せに笑っている。子供も生まれ、昇進をし、二人の目には若さと希望が宿る。

 
 今日もまた、感動的な結婚式だった。

 それを僕は写真に撮った。

 いずれ、その写真は二人の手に渡り、二人の手から両親へ、そして、二人の友人へ、そして、二人の子供へと受け継がれて行くだろう。

 写真とともに、過去を絶え間ない現在へと受け継いで行く。

 酷くプライベートな写真は想起という非常に強力な力を持つ。
 自分や、自分の家族や友人を写真の中に見つける事で、その当時の出来事を、想像し反芻する。

 写真家の目によって、現在は、過去へなったんじゃないだろうか。
 
 なら、僕は、今日撮る事で、一体何を語ろうとしたのだろうか。

 これは僕の勘が鈍いのか、それとも経験が浅いからなのか、確かに僕は写真を職業としているが、なら、僕はそれで一体何を語ろうとしているのか。

 
 ただ、もし、父や母が、あるいは9年前結婚した二人が、あるいは今日結婚した二人が、自分が幸せかどうか悩んだ時、僕には言える言葉が一つある。


 二人が幸福の中に生きようとした事に関われた事を、僕は光栄に思ってる。

それと、大阪は寒い。

2008/02/01

写真でみる暗い大阪


写真でみる暗い大阪, originally uploaded by photowalker.

撮影で、今日から大阪に来ている。
二月に日本本土に帰るのは一年ぶりだが、相変わらずの寒さに驚いている。
僕はすっかり、石垣島の気候に体が慣れてしまったようだ。