2008/07/30

物語を語るという事。


_DSC6134.jpg, originally uploaded by photowalker.

 僕は公文大志であってその他でも誰でもなく、聖徳太子のように10人の人間の話を一度に効く事は出来ないが、身の回りの人の話を聞く耳は持ってる。
 重ねて言うが、聖人君子でもないので自分の注意があさっての方向にある時、人の話を聞くべき耳は、役に立っていない場合が多々ある。

 酷くムラがあり、気分屋だけれども、僕の人への興味は未だ尽きない。

 男、女、どちらでもないマイノリティー。子供、大人、老人。

 主婦の襟足、航空写真家の背中、ブライダルコーディネーターの生足、撮影コーディネーターの髭、境界性人格障害をもつ女のへそに開いたピアス、プロ棋士の目尻の皺、祖母の髪、中年デザイナーの目、webデザイナーの唇、看護婦の顎、舞踏家の頭の形、メディアアーティストの長いひげについたご飯粒、統合失調症患者の眉毛、漫画喫茶につとめる女の腰のくびれ、父の働く姿、ハーフの女の背中、大学教授のはげた頭、ドイツ人のメガネ、中年カメラマンの少し出た腹、カフェの店員の少し下がったケツ、医者の頭に巻いたタオル、弟のちんこ、友人のたるんだ腹の皮、南の島を流浪する女と子供の微笑み。

 君の声。貴方の匂い。彼女の柔らかさ。

 微細な部分にも全体と同じ特徴が現れ、自己相似性の海こそがその人であると感じる。その小指のつま先、その耳の穴の突起、その乳首にはえる一本の毛、その歯茎から出る血、その膝の裏にかく汗、デティールにまで人は人であり続ける。

 写真家が artisan でなくartistでありたいのなら、ある物語の語り部であるべきだと僕は思う。ある写真家は南島の色彩を語り、ある写真家は空の神話を語り、またある写真家は近代という歴史を語ろうとする。

 唯のカメラという機材オペーレーターでなく、写真家として、芸術家として、誇りを持ちたいのなら、物語の語り部としてある他に無い。

 駆け出しの僕は一体何をこれから語ろうとしているのか?
 何の語り部としてあり続けようとするのか?


 その答えを、今まさにつかもうとしてる。

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