2008/02/03

メランコリーな対象


メランコリーな対象, originally uploaded by photowalker.

 驚く事なかれ、僕のおばあちゃんは、僕が生まれた時からおばあちゃんだったんだ。

 彼女と二人、僕の実家に帰った時、彼女は僕の昔の写真が見たいと言い、祖母と母が出してきたアルバムは、祖母が小さい頃、祖父が若い頃の姿が納められた古いアルバムを出してきた。「ちょっと、これは、昔過ぎるんじゃないか?」と、言いながらも僕らは僕の祖父母が若い頃、そして祖父母の父親、僕の先祖たちの写真を見ていた。

 次第に今に近づき、母の若い頃、父の若い頃の写真が現れる。

 さっと、目の前に前の父親と、若い頃の母親の姿が現れたとき、僕はどうして良いのか、わからなくなった。

 写真は何も語らない、ただ若い父と母の姿を僕に見せつける。

 なにか、別の人を見ているかのような、違和感。


 梅田に来て、二つの結婚式を撮った。
 一つは、9年前の、もう一つは今日の。

 9年前の結婚式の撮影は、友人として頼まれ、そして、僕が初めていくらかの謝礼を頂いた初めての結婚式の撮影だった。
 偶然、9年前の撮影も大阪だった。そしてやはり寒い一日だったと思う。
 昨年二人の離婚を聞いた。友人として、二人の離婚に何も言う事はない。僕は二人を好きだし、二人が選んだ答えなら、僕は特に何も言う事はない。
 ただ、二人の結婚が過去の物になったんだと、感慨深く思っただけだ。


 当時まだ結婚していた僕の父と母の写真、二人は柔和に、幸せに笑っている。子供も生まれ、昇進をし、二人の目には若さと希望が宿る。

 
 今日もまた、感動的な結婚式だった。

 それを僕は写真に撮った。

 いずれ、その写真は二人の手に渡り、二人の手から両親へ、そして、二人の友人へ、そして、二人の子供へと受け継がれて行くだろう。

 写真とともに、過去を絶え間ない現在へと受け継いで行く。

 酷くプライベートな写真は想起という非常に強力な力を持つ。
 自分や、自分の家族や友人を写真の中に見つける事で、その当時の出来事を、想像し反芻する。

 写真家の目によって、現在は、過去へなったんじゃないだろうか。
 
 なら、僕は、今日撮る事で、一体何を語ろうとしたのだろうか。

 これは僕の勘が鈍いのか、それとも経験が浅いからなのか、確かに僕は写真を職業としているが、なら、僕はそれで一体何を語ろうとしているのか。

 
 ただ、もし、父や母が、あるいは9年前結婚した二人が、あるいは今日結婚した二人が、自分が幸せかどうか悩んだ時、僕には言える言葉が一つある。


 二人が幸福の中に生きようとした事に関われた事を、僕は光栄に思ってる。

それと、大阪は寒い。

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