昨日の夜、僕は逃げ出した。
路上でキスをしたその後に。
「話があるんだ、ちょっと来てくれない?」
ワイパーに挟まれた手紙。
その時の僕はなんの危機感も持たず、ただ彼女の申し出に素直に従った。
南国に移り住む人々にはそれぞれに事情を持って移り住む。
仕事で、逃げ出そうとして、夢をみて、何かを捨てようとして、救いを求めて、ただ好奇心に突き動かされて。人の数だけ理由があり、大抵の場合それは他人に語るに複雑ではあったものの、それをサカナに一晩飲み明かせる程度に楽しい話題だった。
他の移住者がそうであった様に、僕が移住した理由もやはり適度に複雑だ。仕事でやってきた僕は、好奇心に突き動かされて移り住んでしまったけれど、現実から逃げ出しモラトリアムを享受しようとしたし、写真家という夢を見ていたし、僕を捨てた父親との関係に救いを求めてたようにも思う。
会う人会う人にその理由を説明するうちに、その理由が一つでは無いことに気が付く。だが一年もしない内に言葉を重ねるのも億劫になり、やがて、南国に呼ばれたんだ、とだけ説明をする様になった。
彼女とであったのは僕が島に移り住んで少し立ってからだ。
少しだけ僕の方が先に島にやって来てた。
僕自身がそうであった様に、彼女は彼女の物語の中にいた。
気がつくべきだったと思う。
僕は彼女に何も語る事なく、また、彼女の話を何も聴こうとしなかった。
呼ばれると言う一言。
それは実に便利で、甘美で、人を盲目にする危険な言葉だ。
そのことに気がついたのはそれからずっと後の事だ。
路地裏を二人で歩いた夕暮れを思い出す。湿った空気に、大きな水たまりと
駐輪場、ラーメン屋の排気ダクトから流れてくる油の匂い。
でも、何故あのとき僕は彼女の話に耳を傾かなかったんだろう?
罰なんだろうか? 夜が明け始める。見上げると
金星が輝いていた。
どうしてこうなったんだろう?
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