一つ前の記事の続き。
そして中山直一さん。
この写真たちも以前公開していたが、それとは随分現像結果そしてセレクションも違ってる。
撮影場所は、高知県高知市沢田マンション。
背後に造形物がある写真は造形作家石井葉子さん作品「サワマンサマ」、彼女の協力で撮影出来ました。
その他の中山直一さんの写真はこちらへ
http://www.flickr.com/photos/cumon/sets/72157607072457875/
造形作家 石井葉子さんについてはこちらのwebへ
http://yoko14145.com/
2008/09/09
そして、舞踏家中山直一さん
写真のもう一つの面白さ。
東京にやって来て最初に手を付けたのは、自分の過去に撮った写真と向き合うという事だった。
出版社各社に持ち込みに行く為のブック作りでもあるんだけれど、フィルムで撮った写真を延々とスキャンし直し、写真を見まくってる。
自分の、現像・プリントの甘さ、セレクションの甘さと若さを改めて感じた。
最新の現像結果
そしてこちらが以前の現像結果
サイズが違うので見難いとはおもうけれど、これだけ違う。
もちろん見る人の好みの問題もあるけれど、作家として背景にある哲学をどう反映させるか、この写真はそもそも一体なんなのか?
自分の写真は一体なんなのか、そんなことが現像の結果に反映されてくる。
僕にはまだまだ写真という出来事に対する哲学が足らない。
今回の写真、モデルはゆーいち君。
この間一緒に細江英公さんに会いに行きました。
その話はおいおい。
彼の他の写真を楽しみたい方はこちらへ。
http://www.flickr.com/photos/cumon/sets/72157607193749574/
2008/09/02
あの日、夕暮れ、恵比寿で。
去年だったと思う、二人の友人と東京写真美術館に写真家たちのオリジナルプリントを見に行って来た。
その数ヶ月前に、デザイナーさんのところへ売り込みに行ったら「お前は他の人の写真を見てないだろう。もっといろんな写真を見ろ、目を鍛えろ」とボッコボコにされた。ただ一つ、僕が撮った肖像写真、舞踏家の写真はそれなりに評価してもらえた。その時、写真家細江英公さんと写真集「鎌鼬」の話を聞き、その足で写真集「鎌鼬」を購入するべく本屋に走り、何件目かでやっと見つけて値段を見て驚愕し、 「写真家・細江英公の世界—球体写真二元論 」という本を買って帰った。
それから穴があくほど写真を見たけれど、まだ穴があいたという事は無いので、僕はもっと写真を見なきゃいけない。
さて、そんなことがあってずっとオリジナルプリントを見たい見たいと思っていたがようやく念願が叶ってプリントが見られた。
続く。
写真は一緒に見に行ったはっしーさん。
はっしーさんのBLOG はこちらへ。
あの日、夕暮れ、新宿で。
先日、およそ2年ぶりに新宿に寄った。
そうか、あの時新宿で先輩カメラマンに会って、食事をごちそうになって、なにかお土産を買って、島に帰ったんだった。
托鉢の僧がみせる視線の拒絶。
撮るものと撮られるもののこういう関係性も僕は好きだ。
2008/08/21
写真に対する覚え書き。
今
ビクトリアへ訪れた子供が、風船で器用に作られた帽子を誇らしげにかぶる
今
駅で駅員が切符売り場の窓からひょっこり顔を出す
今
港で地獄針につり上げられたアバサーが息も絶え絶え空を見上げる
今
バス停で観光客がそれぞれの方向を見つめる
今
ドバシカメラで店員が客から求められた品物を、尻だけ出して頭から在庫棚を探す
今
水族館で赤子がイルカを見上げる
今
繁華街で、飲み屋の扉の前にいた猫が貴方の方を振り向く
今
夜市で托鉢の僧が祈りながら鐘を鳴らす
今
保見団地のブラジル人が喜びに声を荒げる
今
帯屋町のペットショップに、友人の兔を訪ねて野生の鳩が訪れる
今
郵便局で子供が簡保の旗に手を差し伸べる
今
今
今
今、写真とはそういう事だ。
写真の兄弟に出会ったのは4年前。
石垣島最後の撮影は、統合失調症を患う二人の兄弟。
また二人に会いに行くと約束した。
二人の物語をいつか語ろう。
そこに確かに彼らが存在したという証を残そう。
2008/08/07
哀しき熱帯
「何も持たない」という意味の名前を付けられた国の話。
僕はこの「何も持たない」国から来た青年から、この国についてのレクチュアを受けていた。日々は過ぎ、実際にこの「何も持たない」国へ前述の青年と訪れた。
都会を離れ、奥地へと向かう。
乾いた空気、刺す様な日差し、赤茶けた大地、まばらに生える木々。
ここに住む人々は強い日差しにから体を守るため、赤い土を体に塗り、申し訳程度に布きれを体にまとっていた。
青年は何かを恐ろしげに彼らを見つめる。
成人した男が、岩に腰掛けながら何かの肉を捌いていた。肉の足下は糞尿にまみれ、その糞尿の中で子供が何やら遊んでいる。
よく見るまでもなく、彼が今まさに解体しようとしているのは人だった。
既に上半身、肩から胸にかけて解体は終わったようで、そこにあるはずの首も、腕も無くなっていた。
生きている間に解体を始めたのか、足下には糞尿が垂れ下がっている。
青年は恐ろしげに、ここから僕を連れて離れようとする。
僕は人を解体する親子?の姿に釘付けだった。
その姿は美しさに満ちていた。
という夢を見た。
夢の中で、ときおり使ってきた「哀しき熱帯」という言葉がこういう事なのだろうと腑に落ちた。
遠く離れていた人々が出会う。
お互いを育んできた文化が出会う。
彼ら人を喰う人々の文化がどういうものだったか僕は知らない。
動物も捕れず、植物も育たない、その土地に生きる人々に戸ってそうすることは当然の事かもしれない。が、日本という国に生まれ育った僕からしてみれば酷く野蛮な事だと感じる事は出来るし、おおよそ、殆どの人々がそう感じると思う。
それぞれの文化に優越は無いけれど、ネットの網が世界を覆い、飛行機や船、車、利便性を享受する僕たちはいずれ彼らの文化を侵略し、淘汰してしまう可能性を持っているが、この事に無自覚でいられる。
夢だったけれど、これは遠い世界の話じゃない。
2008/07/30
物語を語るという事。
僕は公文大志であってその他でも誰でもなく、聖徳太子のように10人の人間の話を一度に効く事は出来ないが、身の回りの人の話を聞く耳は持ってる。
重ねて言うが、聖人君子でもないので自分の注意があさっての方向にある時、人の話を聞くべき耳は、役に立っていない場合が多々ある。
酷くムラがあり、気分屋だけれども、僕の人への興味は未だ尽きない。
男、女、どちらでもないマイノリティー。子供、大人、老人。
主婦の襟足、航空写真家の背中、ブライダルコーディネーターの生足、撮影コーディネーターの髭、境界性人格障害をもつ女のへそに開いたピアス、プロ棋士の目尻の皺、祖母の髪、中年デザイナーの目、webデザイナーの唇、看護婦の顎、舞踏家の頭の形、メディアアーティストの長いひげについたご飯粒、統合失調症患者の眉毛、漫画喫茶につとめる女の腰のくびれ、父の働く姿、ハーフの女の背中、大学教授のはげた頭、ドイツ人のメガネ、中年カメラマンの少し出た腹、カフェの店員の少し下がったケツ、医者の頭に巻いたタオル、弟のちんこ、友人のたるんだ腹の皮、南の島を流浪する女と子供の微笑み。
君の声。貴方の匂い。彼女の柔らかさ。
微細な部分にも全体と同じ特徴が現れ、自己相似性の海こそがその人であると感じる。その小指のつま先、その耳の穴の突起、その乳首にはえる一本の毛、その歯茎から出る血、その膝の裏にかく汗、デティールにまで人は人であり続ける。
写真家が artisan でなくartistでありたいのなら、ある物語の語り部であるべきだと僕は思う。ある写真家は南島の色彩を語り、ある写真家は空の神話を語り、またある写真家は近代という歴史を語ろうとする。
唯のカメラという機材オペーレーターでなく、写真家として、芸術家として、誇りを持ちたいのなら、物語の語り部としてある他に無い。
駆け出しの僕は一体何をこれから語ろうとしているのか?
何の語り部としてあり続けようとするのか?
その答えを、今まさにつかもうとしてる。
2008/02/21
バベル : 航空写真家 野口克也の世界
彼らはまた言った、「さあ、町と塔とを建てて、その頂を天に届かせよう。そしてわれわれは名を上げて、全地のおもてに散るのを免れよう」
創世記 / 11章 4節
亡くなった祖母は熱心なクリスチャンで彼女の墓石には「神は愛なり」と刻まれている。いつの頃だったからか祖母は僕に「何かったら祈りなさい。神様に祈りなさい」と言っていた。「包丁で刺されそうになった時にそれでも神様にお祈りするのか?」と訪ねた時は、「お祈りしなさい。神様が必ず救ってくださるから」と答え、幼くまだ素直だった僕は困った時にそうした物だが、相変わらず小学校ではいじめ通された。
神は死んだとニーチェは叫んだが、僕がそれを知る以前に僕は祖母の言葉を信じなくなった。
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェが1882年の『悦ばしき智慧』の中で「神は死んだ、我々が殺したのだ」と叫んだ事と呼応するかのように近代と呼ばれる時代は黄昏を迎え、現代という時代が明け始める。
悦ばしき智慧の発表から21年後、1903年12月17日。
アメリカで双子の自転車屋がレオナルド・ダ・ビンチが1490年頃に描いたスケッチを現実の物とする。飛行機の誕生だ。そしてわずか4年後にはヘリコプターが誕生する。
それまで神と鳥だけの視座を我々は手に入れた。
(もちろん飛行機が誕生する前から気球は存在したが、機動力・輸送力を考えると飛行機やヘリコプターと気球ではそれこそ鳥と風船ぐらいの差がある。気球についてはここでは論じない。)
そして、ヘリコプターが生まれ100年がたった2007年。航空写真家 野口克也が描く世界は形而上学的な問いを我々に投げかけてくる。
圧倒的な映像、都市に巣くう蟻のような、どこかコミカルで、どこかグロテスクな人々のメタフィジカな姿。ひしめき合う建築群、その間を縫って未だに建築が続けられる難解なコンセプチュアルアート・高速道路。積層する文化と人々の生活をかつての神の視座から野口は見つめる。
人と人は分かり合えないし、寂しさからは逃れられない。絶望を前にしても、人は生き続け寄り添わずにはいられない。この現実を野口の写真は空から笑い飛ばし、慈しむ。
彼の写真から我々が見ているのは現在の東京であると同時に、かつて神が見たバベルの姿なのだ。
野口さんの写真はこちら・またはこちらへ
2008/02/09
空の神話
まさか、空撮がこれほど凄まじい映像体験とは思っても見なかった。
航空写真家 野口克也さんのご好意があり、アシスタントとして空撮に同行させて頂いた。
野口さんとはMIXIで知り合い、仕事で石垣島に野口さんが来島される事になり、石垣島で出会った。
僕がまだ若く経験も少ないカメラマンだからかもしれないが、職業として写真家を選んだのだけど、そこにはまず、写真家になるという選択がある。表現者として何を自分が語りたいのか、なにを語って行こうとしているのかという点で僕は思い悩む。
その点、野口さんの写真は言葉なくても雄弁に語る。
圧倒的な都市映像。どこかグロテスクで、時折滑稽な人々の姿。
そこに現れるのは大地への讃歌であり、人間の神話だ。
野口さんが撮影した写真は、BLOGの左側Favoriteからどうぞ。
また、空撮を考えている出版社の方々はこちら http://helitech.co.jp/ ですよ。
今回お世話になりました、株式会社ヘリテック・エアロサービス代表取締役 小川様、写真家 野口克也様、お二人にあらためてお礼を申し上げたいと思います。貴重な体験をありがとうございました。
2008/02/03
メランコリーな対象
驚く事なかれ、僕のおばあちゃんは、僕が生まれた時からおばあちゃんだったんだ。
彼女と二人、僕の実家に帰った時、彼女は僕の昔の写真が見たいと言い、祖母と母が出してきたアルバムは、祖母が小さい頃、祖父が若い頃の姿が納められた古いアルバムを出してきた。「ちょっと、これは、昔過ぎるんじゃないか?」と、言いながらも僕らは僕の祖父母が若い頃、そして祖父母の父親、僕の先祖たちの写真を見ていた。
次第に今に近づき、母の若い頃、父の若い頃の写真が現れる。
さっと、目の前に前の父親と、若い頃の母親の姿が現れたとき、僕はどうして良いのか、わからなくなった。
写真は何も語らない、ただ若い父と母の姿を僕に見せつける。
なにか、別の人を見ているかのような、違和感。
梅田に来て、二つの結婚式を撮った。
一つは、9年前の、もう一つは今日の。
9年前の結婚式の撮影は、友人として頼まれ、そして、僕が初めていくらかの謝礼を頂いた初めての結婚式の撮影だった。
偶然、9年前の撮影も大阪だった。そしてやはり寒い一日だったと思う。
昨年二人の離婚を聞いた。友人として、二人の離婚に何も言う事はない。僕は二人を好きだし、二人が選んだ答えなら、僕は特に何も言う事はない。
ただ、二人の結婚が過去の物になったんだと、感慨深く思っただけだ。
当時まだ結婚していた僕の父と母の写真、二人は柔和に、幸せに笑っている。子供も生まれ、昇進をし、二人の目には若さと希望が宿る。
今日もまた、感動的な結婚式だった。
それを僕は写真に撮った。
いずれ、その写真は二人の手に渡り、二人の手から両親へ、そして、二人の友人へ、そして、二人の子供へと受け継がれて行くだろう。
写真とともに、過去を絶え間ない現在へと受け継いで行く。
酷くプライベートな写真は想起という非常に強力な力を持つ。
自分や、自分の家族や友人を写真の中に見つける事で、その当時の出来事を、想像し反芻する。
写真家の目によって、現在は、過去へなったんじゃないだろうか。
なら、僕は、今日撮る事で、一体何を語ろうとしたのだろうか。
これは僕の勘が鈍いのか、それとも経験が浅いからなのか、確かに僕は写真を職業としているが、なら、僕はそれで一体何を語ろうとしているのか。
ただ、もし、父や母が、あるいは9年前結婚した二人が、あるいは今日結婚した二人が、自分が幸せかどうか悩んだ時、僕には言える言葉が一つある。
二人が幸福の中に生きようとした事に関われた事を、僕は光栄に思ってる。
それと、大阪は寒い。
2007/12/17
what is the wedding?
写真ってなんだろう。
この問いかけは僕の頭の中から離れない。
僕は仕事柄結婚式を撮る。
先日は日本本土からいらっしゃったお二人の撮影をさせて頂いた。
新婦の母親が、父親なのだろう初老の男性の遺影を手に結婚式に参加されている。
パーティーでビールと取り分けられた料理が遺影の前に飾られていたので、写真に収める。
角度の問題、あるいはレンズによる歪曲の問題であるといえば、それまでなのだけれども、現像してみると、なんだか実際に見た時よりも写真が微笑んでいるようにみえる。
すべての写真は潜在的に遺影である可能性から逃れられない。
僕たちはいずれ死に、土に帰る。
僕も、君も。
太陽のえんぴつ、写真だけは僕らが居なくなった後も、しばらく残るが、その写真ですら、いずれ、土に帰ってしまう。
僕らはいずれ、なにもかも失ってしまうけれど、失うならば、せめて、美しくありたいと思う。
この度はおめでとうございます。
お二人の撮影が出来て光栄です。
写真を楽しみにお待ちください。
2007/11/29
2007/11/07
what is the light?
えひめ丸の事件をみなさん覚えているだろうか。
愛媛県立宇和島水産高等学校に所属する漁業練習船えひめ丸(499トン)が浮上した米海軍所属のロサンゼルス級攻撃型原子力潜水艦グリーンヴィルに衝突され、エンジン周辺を損傷、5分程度の間に沈没した。えひめ丸側35名の乗務員の内9名が死亡。
この中でただ一人水口君のみ遺体も不明となっている。その水口君についてこんな記事があった。
実習船えひめ丸事故で1人だけ発見されなかった実習生水口峻志さん(事故当時17)の父龍吉さん(49)=愛媛県宇和島市=が3日、船内から見つかった峻志さんのデジタルカメラと、これで撮影された写真を公開した。「船内で自分を撮ったらしい静止画1枚と動画1本があり、私にとっては最大の宝物。ほかの生徒が写った写真もあったが、公開は差し控えたい」と話している。
神奈川県・三崎港を出港前のえひめ丸(日本時間1月9日)や航海中の船窓から見た荒波(同13日)、真珠湾に浮かぶ米軍艦(ハワイ時間2月7日)など6カット。2月9日(日本時間10日)に事故は起きた。
龍吉さんによると、カメラの内蔵記憶媒体には、72枚の静止画と十数秒の動画6本が残っていた。うち、えひめ丸で実習中の画像は静止画約30枚、動画3本だった。
空気酸化を防ぐため、海水入り容器に入れて持ち帰り、メーカーのソニーが復元。データを入れたCD−Rが11月23日に自宅に届いた。ソニーによると、損傷が少なく3日ほどで復元できたという。記憶媒体はほかに2本あり、同社が復元に取り組んでいる。
旧約聖書創世記にこうある。
初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
天地創造の第一日目に映像は創造され、アトムからビットへパラダイムシフトを迎えた今もまだ、僕は写真が一体なんなのか解らないでいる。
2007/11/04
what is the hug?
こんな記事を見つけた。
デジタル修正写真の中に蘇る死産児たち
Julia Scheeres 2002年07月10日
マーティー・ミューラーさんは、出産予定日の数週間前に子どもを死産してしまった。夫とともに、彼女は死んだ息子を抱きしめながら病院の産室で数時間を過ごし、霊安室に送り出す前に、悲しみにくれながらも息子の写真を何枚か撮影した。
その間、時間の経過にともなって息子のトロイちゃんの肌は変色していき、現像した写真を見ても腐敗の進行がはっきり確認できた。そこで、プロの写真家でもあるミューラーさんは自然に、ある作業に取りかかった。病院で撮ったスナップ写真にデジタル処理で修正を加え、自分がついに生むことのなかった赤いほっぺの元気な赤ちゃんを作り出したのだ。
カリフォルニア州サンタ・クルーズに、子どもを亡くした遺族の会がある。ミューラーさんはトロイちゃんの写真を会員たちに見せた。たちまち、人知れず苦しんでいた他の両親たちから、死産したうちの子の写真にも修正を加えてほしいという依頼が殺到しはじめた。ミューラーさんは現在、副業として依頼に応じている。写真1枚につき彼女が提示する寄付額は、30ドルから50ドルだ。
「親として、こういった写真はなかなか人に見せられない。あまりに陰惨である場合が多いし、見た人にショックを与える結果になるからだ。正常な赤ん坊のように見える写真なら、人に見せるのもずっと気が楽だ」とミューラーさんは言う。
ミューラーさんには、今や全世界から依頼が寄せられており、依頼人の多くが、修正された写真を財布に入れて持ち歩いたり、ポートレートに仕立てて自宅に飾ったりしている。
これまでも、サポートグループの内部でなら、悲嘆にくれる親たちが死産した子どもの写真を見せ合ってきた。近年は、インターネット上に死んだ子どもたちのバーチャル記念館が開設されている。しかし、写真を修正して一般に公表するというのは、比較的新しい現象だ。
仕事を依頼した親たちによれば、修正された写真は、底なしの喪失感に対処する一助になるという。
「私は娘の写真を額に入れて、居間に飾っています。娘がどれほど美しい子だったか、皆に見てもらえるように」とミューラーさんに修正を依頼したジェニファー・ジョンストンさんは述べた。ジョンストンさんは、妊娠35週で女児を死産した(通常なら、あと5週で出産予定日となるところだ)。「3歳になるうちの息子は、写真を見て、『ほら、これが僕の妹のマディソンだよ。いま天国にいるんだ』と言っています」
ジェネス・パーラさんは、予定日近くの39週目に死産した息子ネイサンちゃんの写真を、1枚しか持っていなかった。看護スタッフが撮影した写真は、無惨なものだった。ネイサンちゃんの皮膚はアザだらけで、あちこちが剥離していたのだ。
「私だからこそ、そんな傷を無視し、息子の本当の姿を見ることができる。でも、他人にそれは望めない。だから私は、息子の写真に修正を施し、私と同じように(皆にも)ネイサンの顔を見てもらいたかった。息子は眠っているように見えるし、誰もが、より気楽に息子の話につきあってくれる。ネイサンについて語れるおかげで、私まで気分が楽になる」と語るパーラさんは、ミューラーさんが修正した息子の写真を札入れの中に入れて持ち歩き、家庭内や職場の休憩室で周囲の人たちに見せている。
歴史的に、地球上の各文化は死産した嬰児を一人前の人間と見なさず、迅速に処置し、忘却すべきものとして扱ってきた。カリフォルニア大学サンタバーバラ校で人類学を教えるフランセスカ・ブレイ教授によると、たとえば中世のヨーロッパでは、洗礼を受ける前に死んだ子どもは、聖別された墓地に埋めてもらえなかったという。
ところが、超音波など現代のテクノロジーによって、出産を待つ両親は、生まれてくる子どもとかつてないほど緊密な絆を結べるようになった。受胎からわずか数週間で、胎児の性別や健康状態、発育状態が確認できるのだ。
「現在、われわれは妊娠初期の段階から胎児との関係を実感できる。これは全く新しい感覚だ。死産児を一人前の人間として扱い、その思い出を大切にしたいという願いも、この感覚と結びついているのかもしれない」とブレイ教授は述べた。
しかし、死産児の写真の修正を「現実から眼をそむけるもの」と懸念する専門家もいる。
人間の喪失感を研究する心理学者、マット・ジマーマン氏は次のように述べている。「不自然な行為だ。実際に起こった出来事の本質に反している。そんなことは起きなかったと自分を偽って、喪失感をしっかりと受けとめられるだろうか?私が積み重ねてきた悲嘆に関する研究と臨床経験の双方から考えて、よい結果は得られないと思う」
しかし、画像修正を行なう写真家たちの考えは違う。
「2歳とか5歳、あるいは20歳で死んだ子どもがいたとしよう。その子の写真を居間に掛けておいたところで、とやかく言う人などいない。死産だった子どもを、子どもとして扱わない理由がどこにある?」と問いかけるのは、テキサス州オースティンの写真家ディアナ・ロイさんだ。ロイさんは死産した子どもの写真を100枚以上修正してきたが、口コミで集まってきた依頼人たちに無料で応じている。
ロイさんは妊娠5ヵ月で流産した。外科手術で胎児を摘出したのだ。自ら産み落とし、両腕に抱きかかえなかったことを、彼女はいまだに後悔している。失った子どもの思い出のよすがを他の親たちに提供することによって、ロイさん自身の喪失感も和らぐという。
ロイさんは、1枚の写真を2時間から4時間かけて修正する。それだけでもたいへんな仕事だが、どんなに無惨な写真でも、依頼を断わったことはない。皮膚がまだ半透明の、第20週目の胎児の写真があるし、子宮内で死亡してから時間が経ちすぎたため、溶けて顔だちが見分けられなくなった子の写真もある。そんな子の顔を、ロイさんは描き直していく。
「無惨だからこそ、私も修正する意欲が湧いてくる」とロイさんは述べた。この記事が、ロイさんのウェブサイトへのリンクを掲載していないのは、本人の希望によるものだ。今でさえ彼女は、依頼の多さに圧倒されているからだ。
修正済みの写真を電子メールに添付して依頼人に送るとき、ロイさんは、静かな場所で添付ファイルを開くよう忠告している。もし生きていたのなら、自分の赤ちゃんはどんな顔をしていたか——対面した依頼人たちは悲しみを新たにし、激しい動揺に襲われることが珍しくないからだ。
ロサンゼルス市内、ハリウッド大通りとバイン通りの角で写真修正サービスを営むヘクター・ダビラ氏の仕事は、大半が写真に写ったハリウッド・スターの若さと美貌を保つことや、遠い昔のひび割れが入ったような写真を復元することだった。だが、ここ数年、死産児の写真の修正を頼む客が、着実に増え続けているという。
「死産した子どもたちの写真は、私がこれまで手がけてきたなかでも最高に難しい。子どもたちの写真を何時間か見つめ続けていると、葬祭場で働いているような気分になってくる。とはいえ、世のお母さんたちに私がしてあげられることは、これくらいしかないんだ」と語るダビラ氏は、このニッチ市場専用のウェブサイトを立ち上げている。
[日本語版:茂木 健/岩坂 彰]
感情のアージと言えばそれまでなのだが、キリスト教学的に言えば、人の罪深さを僕は愛しいと思う。
2007/11/02
what is the photo?
この間集合写真を撮影していた時の話。
「皆さん、手は膝の上で握ってくださいね」ってみんなに言ったんだ。
そしたら90前のおじいさんが隣に座ってた孫娘の手を握り始めたの。
もう、みんな大爆笑。
そんなおじいさんが、昨日がんで亡くなられた。
何枚目か解らないけれど、僕が撮った写真たちは遺影になって行く。
これはどうやってもさけられないし、逃げられない。
これをどう受け取っていいのか、僕にはまだわからない。
わからないまま受け止める事は出来るのだけれど、時々、胸を締め付ける。
写真家って仕事は一体何なんだろう。
僕は何を生業としているのだろう。