僕自身、クリスチャンと言うわけでは無いのだけれども、何度か聖書を読む機会に恵まれた環境にいたのは確かだ。
聖書にある言葉の中に、いくつか印象に残っている言葉がある。
「汝は汝の隣人を愛せ」
この言葉が厳しさを示すのは、その先に現実、あるいは生活があるからだ。
玄関に投げ出された靴に気がついていたのは数日前。
今日、また、同じ靴を見たときにゾッとした。
なぁ、この靴、いつからここにあった?
いつからこの靴動いてないんだ?
虫の知らせだったのかもしれない。
ただ靴が転がってるのを見てぞっとすることなんかそうそうないし、僕にはその理由が思いつかない。
慌てて隣部屋の扉を叩く。
「〇〇さん! 居ますか? 大丈夫ですか?」
兎に角、不動産屋さんに電話をする。
警察を呼んで、一緒に中を確認することになった。
数分後、不動産屋さんと警察官が到着。
不動産屋さんが鍵をあけ、警察官がドアを引く。
が、内鍵が掛かっていた。
僕が住むアパートの扉は珍しく、扉の鍵が二箇所あり、ひとつは内側からしかかけられない。
人が中に居ないと、その鍵はかけられないんだ。
警官が扉をたたき彼の名前を呼ぶ。
内鍵が掛かっているんだ。
中の様子がどういう事になっているのか容易に想像がつく。
応援の警官が到着し不動産屋さんとの相談のあと、鍵が開けられた。
扉の向こうに彼はいた。
仰向けに。
ヘッドホンをつけたままの姿で。
引越しの挨拶の時に彼は言った。
「うるさかったら言ってくださいね、ここは壁が薄いから」