みなさま良いお年を!
2007/12/29
2007/12/17
what is the wedding?
写真ってなんだろう。
この問いかけは僕の頭の中から離れない。
僕は仕事柄結婚式を撮る。
先日は日本本土からいらっしゃったお二人の撮影をさせて頂いた。
新婦の母親が、父親なのだろう初老の男性の遺影を手に結婚式に参加されている。
パーティーでビールと取り分けられた料理が遺影の前に飾られていたので、写真に収める。
角度の問題、あるいはレンズによる歪曲の問題であるといえば、それまでなのだけれども、現像してみると、なんだか実際に見た時よりも写真が微笑んでいるようにみえる。
すべての写真は潜在的に遺影である可能性から逃れられない。
僕たちはいずれ死に、土に帰る。
僕も、君も。
太陽のえんぴつ、写真だけは僕らが居なくなった後も、しばらく残るが、その写真ですら、いずれ、土に帰ってしまう。
僕らはいずれ、なにもかも失ってしまうけれど、失うならば、せめて、美しくありたいと思う。
この度はおめでとうございます。
お二人の撮影が出来て光栄です。
写真を楽しみにお待ちください。
2007/12/14
test sb-800
2007/12/09
石垣島のおいしいもの。
2007/12/07
muniage
棟上げ式。
これをムニアゲと石垣では言う。
棟上が終わると矢を東西に向けて掲げ、マジムン(魔物)が寄り付かないようにまじないをかける。
この時、ユタ(沖縄においてのシャーマン的存在)を呼び、家と土地の神に祈りを捧げる。
これは古い赤瓦の家でも新しい、コンクリートの家(スラブやー)でも変わらず行われる風物詩と言って良いだろう。
2007/12/06
2007/11/30
2007/11/29
2007/11/26
Real Anpanman.
幼い子供を連れた母親が二人、すれ違い様。
一方の親子、2歳前後の子供が雨の中はしゃぎすぎてこけてしまった。
母親はあわてて、子供を抱き上げ、服を拭く。
残念ながら水たまりにジャストミート。
ずぶぬれになった子供を前に母親が声を荒げる。
それを見ていたもう一方の親子、アンパンマンのズボンとフリースを着た3歳くらいの子供が上着を脱ぎ始め、ずぶ濡れの子供の前にかけて行く。すると自分の着ていたアンパンマンの服をずぶ濡れの子供に差し出した。
母親が母親に誇らしげに声をかける。
「いいですよ、着ていってください」
生まれて初めて僕は本物のアンパンマンを見た。
2007/11/23
2007/11/22
magic time
「・・・かぁちゃんが作った天ぷら」
「そっかぁ、最後に食べたのはいつ?」
「おとついくらい」
「何が入ってるの?」
「さかなとか」
「何が一番好き?」
「ごーやのやつ、苦いけど、くせになるさ」
「ああ、そうだね。ぼくもごーやの天ぷら好きだよ」
「内地の人もそんなの食べる?」
「こっちの天ぷらとちょっと違うけど、内地の天ぷらって僕にはふるさとの味だからね。おいしいよ。大葉の天ぷらが好きさ」
「ああ、大葉ね、おいしいよね」
「うんうん。おいしい。おなかへってきたよ!」
「あはは、ほら、みてごらん、もう夕方だよ、おなかへったね!」
「あ、凄い雲!! みてみて!!」
2007/11/21
deadman cooking.
南の島に癒しなんかないと僕は思う。
石垣に着て4年、僕が見た石垣はとても豊かで絶望的な島だ、
毎日がつらい、
何もしたくない、
疲れた、
疲れた、
疲れたんだ。
こうぼやく人だって、いる。
「何になりたい? 何かやっていて楽しい事は無い?」
「わかんない、何もできないよ、むりだよ」
「最近一番楽しかった事は?」
「ないよ。もう、10年だよ。10年もこうやって同じ毎日をおくってる、はやく、はやく終わって欲しいよ、何回も死のうって思ったよ」
「死のうって考えたの?」
「そう、早く死にたい」
「そっか。じゃあさ、一番最後に何を食べたい?」
2007/11/17
2007/11/14
Information : Body art
ご案内。
僕は人の体に模様を書いて写真に収めるという活動をしている。
興味がある方はこちらへ。
http://www.flickr.com/photos/cumon/sets/72057594108993244/
2007/11/13
2007/11/11
2007/11/09
2007/11/08
2007/11/07
what is the lion?
中国や日本に居てそうであるように、やはり八重山でも獅子は破邪顕正の徳の高い生き物として扱われる。
儀式の中盤、赤子が客席より連れ出され、獅子に丸呑みにされた。
獅子の胎内にはいりもう一度生まれる事で、赤子の健康と多幸を祈願する。
what is the light?
えひめ丸の事件をみなさん覚えているだろうか。
愛媛県立宇和島水産高等学校に所属する漁業練習船えひめ丸(499トン)が浮上した米海軍所属のロサンゼルス級攻撃型原子力潜水艦グリーンヴィルに衝突され、エンジン周辺を損傷、5分程度の間に沈没した。えひめ丸側35名の乗務員の内9名が死亡。
この中でただ一人水口君のみ遺体も不明となっている。その水口君についてこんな記事があった。
実習船えひめ丸事故で1人だけ発見されなかった実習生水口峻志さん(事故当時17)の父龍吉さん(49)=愛媛県宇和島市=が3日、船内から見つかった峻志さんのデジタルカメラと、これで撮影された写真を公開した。「船内で自分を撮ったらしい静止画1枚と動画1本があり、私にとっては最大の宝物。ほかの生徒が写った写真もあったが、公開は差し控えたい」と話している。
神奈川県・三崎港を出港前のえひめ丸(日本時間1月9日)や航海中の船窓から見た荒波(同13日)、真珠湾に浮かぶ米軍艦(ハワイ時間2月7日)など6カット。2月9日(日本時間10日)に事故は起きた。
龍吉さんによると、カメラの内蔵記憶媒体には、72枚の静止画と十数秒の動画6本が残っていた。うち、えひめ丸で実習中の画像は静止画約30枚、動画3本だった。
空気酸化を防ぐため、海水入り容器に入れて持ち帰り、メーカーのソニーが復元。データを入れたCD−Rが11月23日に自宅に届いた。ソニーによると、損傷が少なく3日ほどで復元できたという。記憶媒体はほかに2本あり、同社が復元に取り組んでいる。
旧約聖書創世記にこうある。
初めに、神は天地を創造された。
地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。
神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。
神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、
光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。夕べがあり、朝があった。第一の日である。
天地創造の第一日目に映像は創造され、アトムからビットへパラダイムシフトを迎えた今もまだ、僕は写真が一体なんなのか解らないでいる。
2007/11/04
what is the hug?
こんな記事を見つけた。
デジタル修正写真の中に蘇る死産児たち
Julia Scheeres 2002年07月10日
マーティー・ミューラーさんは、出産予定日の数週間前に子どもを死産してしまった。夫とともに、彼女は死んだ息子を抱きしめながら病院の産室で数時間を過ごし、霊安室に送り出す前に、悲しみにくれながらも息子の写真を何枚か撮影した。
その間、時間の経過にともなって息子のトロイちゃんの肌は変色していき、現像した写真を見ても腐敗の進行がはっきり確認できた。そこで、プロの写真家でもあるミューラーさんは自然に、ある作業に取りかかった。病院で撮ったスナップ写真にデジタル処理で修正を加え、自分がついに生むことのなかった赤いほっぺの元気な赤ちゃんを作り出したのだ。
カリフォルニア州サンタ・クルーズに、子どもを亡くした遺族の会がある。ミューラーさんはトロイちゃんの写真を会員たちに見せた。たちまち、人知れず苦しんでいた他の両親たちから、死産したうちの子の写真にも修正を加えてほしいという依頼が殺到しはじめた。ミューラーさんは現在、副業として依頼に応じている。写真1枚につき彼女が提示する寄付額は、30ドルから50ドルだ。
「親として、こういった写真はなかなか人に見せられない。あまりに陰惨である場合が多いし、見た人にショックを与える結果になるからだ。正常な赤ん坊のように見える写真なら、人に見せるのもずっと気が楽だ」とミューラーさんは言う。
ミューラーさんには、今や全世界から依頼が寄せられており、依頼人の多くが、修正された写真を財布に入れて持ち歩いたり、ポートレートに仕立てて自宅に飾ったりしている。
これまでも、サポートグループの内部でなら、悲嘆にくれる親たちが死産した子どもの写真を見せ合ってきた。近年は、インターネット上に死んだ子どもたちのバーチャル記念館が開設されている。しかし、写真を修正して一般に公表するというのは、比較的新しい現象だ。
仕事を依頼した親たちによれば、修正された写真は、底なしの喪失感に対処する一助になるという。
「私は娘の写真を額に入れて、居間に飾っています。娘がどれほど美しい子だったか、皆に見てもらえるように」とミューラーさんに修正を依頼したジェニファー・ジョンストンさんは述べた。ジョンストンさんは、妊娠35週で女児を死産した(通常なら、あと5週で出産予定日となるところだ)。「3歳になるうちの息子は、写真を見て、『ほら、これが僕の妹のマディソンだよ。いま天国にいるんだ』と言っています」
ジェネス・パーラさんは、予定日近くの39週目に死産した息子ネイサンちゃんの写真を、1枚しか持っていなかった。看護スタッフが撮影した写真は、無惨なものだった。ネイサンちゃんの皮膚はアザだらけで、あちこちが剥離していたのだ。
「私だからこそ、そんな傷を無視し、息子の本当の姿を見ることができる。でも、他人にそれは望めない。だから私は、息子の写真に修正を施し、私と同じように(皆にも)ネイサンの顔を見てもらいたかった。息子は眠っているように見えるし、誰もが、より気楽に息子の話につきあってくれる。ネイサンについて語れるおかげで、私まで気分が楽になる」と語るパーラさんは、ミューラーさんが修正した息子の写真を札入れの中に入れて持ち歩き、家庭内や職場の休憩室で周囲の人たちに見せている。
歴史的に、地球上の各文化は死産した嬰児を一人前の人間と見なさず、迅速に処置し、忘却すべきものとして扱ってきた。カリフォルニア大学サンタバーバラ校で人類学を教えるフランセスカ・ブレイ教授によると、たとえば中世のヨーロッパでは、洗礼を受ける前に死んだ子どもは、聖別された墓地に埋めてもらえなかったという。
ところが、超音波など現代のテクノロジーによって、出産を待つ両親は、生まれてくる子どもとかつてないほど緊密な絆を結べるようになった。受胎からわずか数週間で、胎児の性別や健康状態、発育状態が確認できるのだ。
「現在、われわれは妊娠初期の段階から胎児との関係を実感できる。これは全く新しい感覚だ。死産児を一人前の人間として扱い、その思い出を大切にしたいという願いも、この感覚と結びついているのかもしれない」とブレイ教授は述べた。
しかし、死産児の写真の修正を「現実から眼をそむけるもの」と懸念する専門家もいる。
人間の喪失感を研究する心理学者、マット・ジマーマン氏は次のように述べている。「不自然な行為だ。実際に起こった出来事の本質に反している。そんなことは起きなかったと自分を偽って、喪失感をしっかりと受けとめられるだろうか?私が積み重ねてきた悲嘆に関する研究と臨床経験の双方から考えて、よい結果は得られないと思う」
しかし、画像修正を行なう写真家たちの考えは違う。
「2歳とか5歳、あるいは20歳で死んだ子どもがいたとしよう。その子の写真を居間に掛けておいたところで、とやかく言う人などいない。死産だった子どもを、子どもとして扱わない理由がどこにある?」と問いかけるのは、テキサス州オースティンの写真家ディアナ・ロイさんだ。ロイさんは死産した子どもの写真を100枚以上修正してきたが、口コミで集まってきた依頼人たちに無料で応じている。
ロイさんは妊娠5ヵ月で流産した。外科手術で胎児を摘出したのだ。自ら産み落とし、両腕に抱きかかえなかったことを、彼女はいまだに後悔している。失った子どもの思い出のよすがを他の親たちに提供することによって、ロイさん自身の喪失感も和らぐという。
ロイさんは、1枚の写真を2時間から4時間かけて修正する。それだけでもたいへんな仕事だが、どんなに無惨な写真でも、依頼を断わったことはない。皮膚がまだ半透明の、第20週目の胎児の写真があるし、子宮内で死亡してから時間が経ちすぎたため、溶けて顔だちが見分けられなくなった子の写真もある。そんな子の顔を、ロイさんは描き直していく。
「無惨だからこそ、私も修正する意欲が湧いてくる」とロイさんは述べた。この記事が、ロイさんのウェブサイトへのリンクを掲載していないのは、本人の希望によるものだ。今でさえ彼女は、依頼の多さに圧倒されているからだ。
修正済みの写真を電子メールに添付して依頼人に送るとき、ロイさんは、静かな場所で添付ファイルを開くよう忠告している。もし生きていたのなら、自分の赤ちゃんはどんな顔をしていたか——対面した依頼人たちは悲しみを新たにし、激しい動揺に襲われることが珍しくないからだ。
ロサンゼルス市内、ハリウッド大通りとバイン通りの角で写真修正サービスを営むヘクター・ダビラ氏の仕事は、大半が写真に写ったハリウッド・スターの若さと美貌を保つことや、遠い昔のひび割れが入ったような写真を復元することだった。だが、ここ数年、死産児の写真の修正を頼む客が、着実に増え続けているという。
「死産した子どもたちの写真は、私がこれまで手がけてきたなかでも最高に難しい。子どもたちの写真を何時間か見つめ続けていると、葬祭場で働いているような気分になってくる。とはいえ、世のお母さんたちに私がしてあげられることは、これくらいしかないんだ」と語るダビラ氏は、このニッチ市場専用のウェブサイトを立ち上げている。
[日本語版:茂木 健/岩坂 彰]
感情のアージと言えばそれまでなのだが、キリスト教学的に言えば、人の罪深さを僕は愛しいと思う。
2007/11/02
what is the photo?
この間集合写真を撮影していた時の話。
「皆さん、手は膝の上で握ってくださいね」ってみんなに言ったんだ。
そしたら90前のおじいさんが隣に座ってた孫娘の手を握り始めたの。
もう、みんな大爆笑。
そんなおじいさんが、昨日がんで亡くなられた。
何枚目か解らないけれど、僕が撮った写真たちは遺影になって行く。
これはどうやってもさけられないし、逃げられない。
これをどう受け取っていいのか、僕にはまだわからない。
わからないまま受け止める事は出来るのだけれど、時々、胸を締め付ける。
写真家って仕事は一体何なんだろう。
僕は何を生業としているのだろう。
2007/10/31
2007/10/29
Photowalker meet dancing lion.
いよいよ、獅子が現れる。
2頭の獅子が綱を引き合い、押し合い、絡み合う。
獅子が大きく動くと、観客から歓声が上がる。
子供たちは人差し指を獅子に向け「れるれ、れるれ」と指をまわしながら声を出す。
そして次の瞬間!!!
つづく。
2007/10/28
Photowalker meet great sunshine.
今日はカヤマ島で撮影だった。
こんなに暑いのは久しぶり。
今年は秋が早く八重山のくせにここ数日はシャツの上に一枚はおらないと寒かったりしたんだが、一気に暑くなった。
今日は黒潮が入ってきているようで透明度が高く、水温もそこそこ。
絶好のシュノーケリング、ダイビング日和なのに、仕事でそういうわけも行かず。眺めるだけで我慢。
2007/10/27
Photowalker meet Miyara.
前回のエントリーではお盆の翌日獅子舞が披露される集落があると書いた。
僕が訪れたのは白保の獅子舞。
白保にある学校の運動場で盆踊りと獅子舞が披露されると、白保集落の始祖の一つでもあり、古い歴史を持つ宮良家に場所を移し、また獅子舞が披露される。
白保集落の獅子舞はこの宮良家に代々伝わる(300年程との話)獅子の面を使い、お盆が一通り終わると獅子納めの儀と言う事で、一番最後に宮良家屋敷にて最後の芸能の披露が行われる。
写真は宮良家屋敷にて獅子の登場を待つ人々。
学校の運動場での芸能披露の後、たっぷり2時間はこの宮良家の屋敷にて獅子の登場を待つ事になった。
2007/10/26
Photowalker meet Bon.
八重山ではお盆を旧暦で行い、これを旧盆(ソーロン)と呼ぶ。
ソーロンの最終日の翌日。
この世が楽しくて帰れないご先祖様に帰って頂く為にも、獅子舞が披露される集落がある。
ちなみに、この「この世が楽しくて帰れないご先祖様に帰って頂く為」という理由はたまたまそこにいたおばあさんに聞いた。よって、民俗学的に正しいかどうかは知らないがそういう側面もあるのかもしれない。
2007/10/25
2007/10/22
2007/10/21
2007/10/19
2007/10/17
2007/10/15
Photowalker meet NAMI.
One great singer.
夜の街を飲み歩いている時に、時々彼女に出会う。
何度か一緒に三線を弾かせてもらった。なんと楽しい事か!
彼女のハスキーな声と軽快な三線の音が心地よい。
夜もそろそろ開ける頃、彼女は孫を電話で呼ぶと、元気よく帰って行った。
彼女より半世紀は若い僕は、喉も枯れ、酔いも回りべろべろだ。
酒に酔ったのか彼女の唄に酔ったのかは解らない。
心地よい音の余韻が体に残る。
2007/10/13
2007/10/12
kabira beach
フリッカーからの投稿に成功。
古いアカウントからのログインができないできないと思っていたら、しっかりログイン画面に古いアカウントをお持ちの方は…みたいなことちゃんと書いてあった。
あれれー?
とりあえず、投稿できてよかった。
2007/10/11
Photowalker meet Flickr
今年の1月くらいまでだったか flickr を使ってた。
しばらくぶりにログインしようとしたら、ログイン出来ないでやんの。
どうやら旧アカウントはYahoo!USAのアカウントを取ってからloginしなきゃ行けないらしい。
うーん。旧アカウントの写真とFriendも一度捨てなきゃ行けないのか。
そう考えると残念。
一応Flickr の旧IDのURL はこちら
ミレったらしくいろいろと Flickr を確認してみたが、やはりIDを取り直さないとだめみたい。とほほ。
2007/10/10
風速30mで犬は飛ぶ。
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From ishigaki island |
先日、猛烈な台風15号が八重山諸島に接近。
大きな爪痕を残していった。
特に与那国島でも甚大な被害に見舞われた。
石垣市でも風速59mを記録。
風が少し弱まったころ、様子を見るために外へ出たがそこで思わぬものを見た。
野良犬だ。
写真を撮っていた瞬間に、それは起こった。
わが目を疑い、あわてて犬を追いかける。
しかし、猛烈な風にあい、満足に前にも進めない。息も出来ない。
風速30mほどで息ができなくなるそうだ。
ちなみに、一般体型の男性で風速33m、女性では31mm、どんな体勢をとっていても風速35mで人は飛んでしまうらしい。
犬はおよそ風速30m程度で、空へ飛び立っていった。
何とか、外へ出て犬を探すと、のんきに、はるか彼方をあり得ないスピードで歩いて行った。
ホッと胸をなでおろす。
ところで、この写真、よく見ると合成写真のように見えるが、本当に合成写真です。
はい、犯人は僕だ。
どうか、台風の風に飛ばされ、けがをしている犬はいなかったという事実に皆さん胸をなでおろしてほしい。